リバイバルの秘訣:自己吟味

2 Chronicles 7:13-14
P. G. Mathew | Sunday, December 27, 2020
Copyright © 2020, P. G. Mathew
Language [English]

わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす(2歴代誌7:13–14)

今日は2020年最後の日曜日である。主なる神が、私たちが自己吟味するのを助けられるように。リバイバルの鍵は、他人を吟味するのではなく自分自身を吟味し、自身の罪を見つけて取り除くことから始まる。

2歴代誌7:13は、「わたしが天を閉じて雨をなくすとき」と言う。主なる神が天を閉ざされたのはなぜか。それは人間の罪である。罪のゆえに神は天を閉ざして、雨を降らせないようにされた。これはあらゆる欠乏という結果を意味する。イナゴは他のすべてを食い尽くす。コロナウイルスのような病気もやって来て、何千人もの人々が亡くなった。

教会が自らを吟味し、イエス・キリストの知識と恵みによって成長する。これこそ、神の御計画である。神は私たちが自らの吟味を可能にされ、何が悪かったか教えてくださる。私たちは神の言葉に従順に生きなければならない。そうでないなら、主は天を閉ざし、食いつくすイナゴを送られる。コロナウイルスは蔓延する。だから、主の助けによって、自己吟味をし、主が言っておられることを理解できるようになることを祈る。

1. 「もし」…「ならば」

14節は、「わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば」と言っているが、それまでは何も起こらない。

「あなたが従うなら、私はあなたを祝福する。従わなければ、私はあなたをのろう」、これが主なる神の求められる条件である。1コリント11:30でパウロは言っている、「あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」。

神は人々を祝福または呪う、この仕事をしておられるのである。主なる神に対して唾を吐く人を許されない。それでも、ソロモンは二度主なる神を冒涜した。この聖書の箇所は、神がソロモンに語られた一部である。ソロモンは、神に従うことを拒否した。

2歴代誌7:19–20で、主はソロモンにこう言われた、「しかし、あなたがたがもし翻って、わたしがあなたがたの前に置いた定めと戒めとを捨て、行って他の神々に仕え、それを拝むならば、わたしはあなたがたをわたしの与えた地から抜き去り、またわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨てて、もろもろの民のうちにことわざとし、笑い草とする」。しかし、ソロモンは背いた。

1コリント11:28, 31で、「だれでもまず自分を吟味すべきである」とパウロは言っている。私たちは自らを吟味する責任がある。したがって、妻は自身を吟味し、夫は自身を吟味し、子供たちは自身を吟味する必要がある。これこそ私たちがとるべき選択である。でなければ、主なる神が吟味されるであろう。だから、こう書いてある、「だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである」。それは、神の裁きに合わないためである。30節で、あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである、とある。これこそ取るべき選択である。自分自身を吟味し、聖霊の助けによって改革するという選択、これを私たちに与えてくださった神に感謝せよ。

2.「わたしの民」

神はこう言われる、「もしも我が民が…」と言っておられる。私たちは神の契約の民である。契約の本質は何か? 「私はあなたを救う神であり、あなたは私に従う私の民である」と主は言われる。

あなたは神に従うなら、神の民であることを証明する。神に従うためには、神の言葉を読むべきである。エペソ人5~6章には、「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」、「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」、また、「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい」と書いてある。

エペソ1:4を見ると、神は創造の前から、幾人かを救うという契約を結んでおられることがわかる。エペソ人1:4節は言っている、「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」。神は、私たちが神の言葉を聞いてそれを実行すること、即ちご自身に従うことを望んでおられる。

神はこう言われる、「私はあなたを救うためにあなたを選んだ。あなたは私に従う民である」。 主イエスは言われた、「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネ14:15)。だから、神は「あなたは私を愛し従う私の民である」と言っておられる。 ローマ人:8 29-30では、私たちは創造の前に、永遠に神によって予定されていることがわかる。ほんの数人だけが、このように予定されている。神は誰かを選ぶ必要はなかった。しかし、彼は創造の前、人の堕落の前に、彼の目に聖く非難されない者として私たちを選ばれた。だから、主イエス・キリストのイメージに一致するように運命づけられている。私たちの運命は神御自身の子となり、新生、義とされ、栄光を与えられるようにされている。

3.「神の名によって呼ばれる者」

14節には、私たちが神の名によって呼ばれているとある。これは神の効果的な呼びかけである。神があなたを選ばれ、呼ばれる。それは効果的で、あなたは神のところに来ることになる。私たちは、主の選びでここに来たのである。それは神の働きによる霊的再生なのである。

「神の名前で呼ばれた」というその名は権威を帯びている。これは神の一般的な呼びかけではなく、神の効果的な呼びかけである。従って、神が選びの民を導かれる。選びの民でない者は、来ることを拒否し、最終的には永遠の地獄に送られる。それはアダムに属する罪人として贈られるのである。

へブル書の著者はイエス・キリストについて、「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、まったき者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となられた」と言っている(へブル5:8–9)。あなたは神の言葉に従っているか、まずは自問してみてみよ。単に知的に「聖書を読んだ」だけではないかどうか?

主イエスは、「私の命令に従いなさい」と言われた。神は決してあなたに懇願されない。私たちは何でもない。神の被造物であり、神は私たちに命じられる。主イエスは言われ「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」(ヨハネ15:10)。神があなたを効果的に呼ばれたなら、あなたは再生されていることを意味する。これがなぜ必要なのか? 私たちは、神に対する反逆と罪という二重の意味で霊的に死んでいるからである。再生されない限り、二重に死んでいる状態から出られないのだ。

神の効果的な呼びかけは、霊的再生の後、悔い改めと信仰に導く。ローマ人1:5節、「信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務めとを受けた」というのは、一般的な呼びかけではなく、選びの民への特別な呼びかけなのである。

4.「へりくだるならば」

だからこそ私たちは自らをへりくだらせなければいけない。ルカ18章に、自分が義人と思っているパリサイ人が、主イエスはいらない、言っている。しかし、このパリサイ人同様、すべての人間は、罪人として生まれ、毎日罪を犯しつづけている。これとは対照的に、取税人は「罪人の私を憐れんでください」と言った。この取税人は、義とされたと聖書は教えている。パリサイ人は義とされずに去って行った。私たちは、個々人へりくだる必要がある。

プライドはそもそも悪魔の犯した罪である。黙示録には「ドラゴン」という悪魔をあらわす言葉が14回出てくる。しています。プライドを褒める悪魔は、あなたと私の敵であるのだ。

神は高慢な人々の祈りを聞かれない。マタイ25:41で、神の命令を聞いて従わない高慢な者達に王が言われたことが書かれている、「それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ』」。「用意されている」という言葉は神聖な受動態といい、神ご自身がそれを用意されたことを意味する。「永遠の火」は永遠の地獄である。

ルカ16の金持ちは、門に横たわって乞食をしていた貧しいラザロを軽蔑していた。 誰もラザロに与えなかった。金持ちは死に、地獄と火の苦しみの中にいた。ラザロも死に、アブラハムのそばである天の国にいた。これが現実だからこそ、我々は聖書を読んで従うのである。ラザロが行った場所に行き、神と共にある天の国に行きたいからである。私は、お金や世界のものに夢中になれるわけがない。パウロは、「ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである」(1テモテ6:8)、「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」(1テモテ6:6)と言っている。

神はへりくだる者を引き上げられる。「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」と書いてある。「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう」(ヤコブ4:6-7)とも教えられている。だから、自分の罪を告白し、あなたの罪を捨て、神の赦しを受けよ。キリストは私たちの罪のために死に、罪を赦し、神との平和を与えられた。感謝せよ。

今日は、今年最後の日曜日である。それぞれ自分自身を吟味せよ。そうすれば、神の恵みとイエス・キリストの知識において成長することができる。へブル12:14は、きよくならなければ、だれも主を見ることはできないと言っている。

5. 自らの必要の為に祈れ

私たちは自分たちの必要のために祈らなければならない。自分の必要とは何か? 神はこう言われる、「私が天を閉ざすと、雨が降らず、イナゴが土地を枯れさせ、疫病が到来する」。神は何故このようにさるのか?それは、神の民の罪が原因である。お金があると、私たちは罪を犯し、罪の喜びを体験したいと思うものである。

あなたは、自らの必要のために祈れ。「主なる神様、私は自分の罪を悔い改めます」と言え。主なる神は、飢饉、イナゴ、そして疫病を送っておられる。パウロはコリントの信徒に言っている、「このため、あなた方の多くは弱く病気であり、多くの人が亡くなった」。これは、主なる神が行われたことである。これには彼らはキリストにあって兄弟を愛さなかった、という理由があった。

6. 主なる神を求めその御心を行え

私たちは祈るだけでなく、神を求め、神のご意志を行い続けなければならない。マタイ15章で、ツロ・フェニキアの女性が「助けてください、イエス様」と叫んだところが記録されている。主イエスは、「私は犬を助けるために犬に送られたのではない」と言われた。彼女は言った、 「私は犬です。犬は主人の食卓から落ちてくるパンくずをいただいていきます」。主なる神は、「あなたの信仰は素晴らしい」と言われた。

ルカ18章では、未亡人が不義の裁判官に助けを求めたことが記録されている。不義の裁判官は賄賂を受け取らないと仕事をしないので、賄賂を贈るお金がない彼女の求めを無視していた。しかし、彼女はしつこく求めたので、とうとう裁判官は彼女の問題に対処した。

7. 真の悔い改め

それから、神の民は「邪悪な道から悔い改めるべきである」と教えられている。真の悔い改めは、罪から180度回れ右をした生き方を意味する。主イエスは姦淫の女に、「わたしもあなたを罰しない」(ヨハネ8:11)と言われた。しかし、主イエスは「もっと姦淫を犯せ」と言われただろうか? いいえ。主イエスは、「罪の人生を終わらせよ」と宣言された。私たちは罪を悔い改め、神の言葉にあるように神の御心を行わなければならない。

エペソ4:28は教えている、「盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい」。以前は、この者は盗みをしていたが、悔い改めた後は、週に6日働き、人に与えることができるようになるのである。

放蕩息子も同じである。父親の権威から離れ、すべてのお金を無駄にした後、食べるものすらなくなった。放蕩息子は途方に暮れ、「父の家に行こう」と思い立った。彼は父に言った、「わたしは天に対しても、あなたに対しても罪を犯しました。もはやあなたの息子と呼ばれるに値しません。私はお空腹です。奴隷の一人にしてください」。しかし、神は彼の罪を赦し、父は彼の罪を赦した(ルカ15)。

8.「私は天から祈りを聞く」

神は、「私は天から聞く」と言われる。これは奇跡なのである。神は、悔い改める罪人の祈りを天から聞かれる。私たちの祈りは神の約束に基づいている。人は嘘をつくが、神は嘘をつくことはできない。

9.「彼らの罪を赦す」

神は、「私は天から聞いて、彼らの罪を赦す」と言われる。1ヨハネ1:9にある、「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」。神の赦しは驚くべきことである。神に対する私たちの罪は無限である。なぜなら、神は無限、永遠で、聖く、三位一体の神であられるからだ(PGM)。私たちの罪を赦す方法、それは償いと言い、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをされなかった」(2コリント5:19)。私は神に対して罪を犯したが、神はすべての罪を赦された。これは奇跡である。どうしてこのようなことが成し遂げられたのか。「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」 (2コリント5:21)。「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ローマ6:23)。キリストが私たちの罪のために代わりに死なれたので、神は私たちの罪を赦すことができるのである。

この罪の贖いについてイザヤ53:4–5は言っている、「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」。

キリストが私たちの罪のために死なれたので、神は「私は彼らの罪を赦す」と言われるのである。これは2重の福音呼ばれる。キリストは私たちの罪、罪悪感、罰、そして地獄をご自身が引き受けられたのである。改革派の神学によれば、十字架上のイエス・キリストは私たちの地獄を体験するために地獄に行かられた。これにより、私たちに彼の完全な義を与えられた。だから今、彼を着る者は、その義によって、父なる神の前に来くことができる。私たちはキリストの完全な義に覆われているのである。聖くなければ、誰も主なる神を見ることはない。キリストにおいて義とされたので、主なる神にまみえることができるのである。

10.「そしてあなたがたの地を癒す」

最後に、主は「彼らの土地を癒す」と言われる。突然、恵みの雨がきて、穀物が実り、収穫が来る。イナゴは去り、健康、食料、安全が確保される。私たちがこれらの10のことをするとき、即ち、自分の罪を告白し、罪から離れるとき、神は私たちに生活の糧、健康、安全を与えられる。

ソロモンの罪

主はすでに申命記17章からソロモンに語られた:

「あなたの神、主が賜わる地に行き、それを獲てそこに住むようになる時、もしあなたが『わたしも周囲のすべての国びとのように、わたしの上に王を立てよう』と言うならば、必ずあなたの神、主が選ばれる者を、あなたの上に立てて王としなければならない。同胞のひとりを、あなたの上に立てて王としなければならない。同胞でない外国人をあなたの上に立ててはならない。王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。また妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない。彼が国の王位につくようになったら、レビびとである祭司の保管する書物から、この律法の写しを一つの書物に書きしるさせ、世に生きながらえる日の間、常にそれを自分のもとに置いて読み、こうしてその神、主を恐れることを学び、この律法のすべての言葉と、これらの定めとを守って行わなければならない。そうすれば彼の心が同胞を見くだして、高ぶることなく、また戒めを離れて、右にも左にも曲ることなく、その子孫と共にイスラエルにおいて、長くその位にとどまることができるであろう」(申命記17:14–20)。

それでも、ソロモンは自分を吟味し、罪悔い改めなかった。神はそれらすべてを見ておられる。次のことを考えよ:

1.ソロモンは彼の王、主に従うことを拒否した。

2.彼は自分の道を歩んでいった。

3.彼は聖書は持っていた。

4.彼はそれを毎日読むことになっていた。

5.彼はその言葉に従って日々統治することになっていた。

6.彼は神を尊んだり、神に従ったりはしなかった。

7.彼は神の言葉に反して、多くの軍馬手に入れた。

8.彼は、神の言葉に反して、多くの軍馬を手に入れるため、民をエジプトに戻らせた。

9.彼は、自分の民を守るために神を信頼しなかった。

10.彼には700人の妻と300人の側室がいた。

11.聖書は一人の妻だけを許している。マタイ19章で、イエスは離婚について警告し、「最初からはそうではなかった」と言われた。つまり、神の計画は、一人の女性(イブ)に対して一人の男性(アダム)であった。

12.これらの妻は他の神々、つまり悪魔を崇拝した。

13.これらの妻たちは、ソロモンを聖書の言葉から引き離した。

14.彼は家の長ではなかった(1テモテ3; 1ペテロ3章)。

15.彼は神の警告に反対して大量の金と銀を貯め込んだ。

16.彼はすべての神の命令に従わなかった。

17.彼は、ダビデのように悔い改めることはなかった(詩篇32、51篇)。

18.このようにして、神は彼の敵になった。

I列王記11章には、ソロモンが何をしたかについて記録されている。

「しかし、ソロモン王は、ファラオの娘以外にも、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドニアン人、ヒッタイト人など、多くの外国人女性を愛した。主がイスラエル人に次のように言っておられた国々の女性たちである、『必ず彼等異邦の神々に心を向けるので、決して彼等と交わってはならない』。にもかかわらず、ソロモンは彼等を愛した。即ち700人の王族の妻と300人の側室があり、彼等はソロモンを迷わせた。ソロモンが年をとるにつれ、これらの女性は、違法の神々に心を向けていき、主なる神に心を向けなくなっていった。彼の父ダビデのようではなかった。加えて、シドンの女神アシュトレトとアンモン人の忌まわしい神モレクにも従った。ソロモンは主の目に悪を行った」。

エルサレムの東の丘に、ソロモンはモアブの忌まわしい神ケモシュとアンモン人の忌まわしい神モレクのために高き所を建てた。彼は、彼等異邦の妻たちのように、これらの神々に香を焚き、犠牲を捧げた。

主はソロモンに二度現れて、彼に対する怒りを表された。なぜなら、ソロモンはイスラエルの神、主から心をそらしたからである。主はソロモンが他の神々に従うことを禁じておられたのに、ソロモンは主の命令を守らなかった。 そこで、主はソロモンに言われた、「これがあなたの本心であり、わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、わたしは必ずあなたから国を裂き離して、それをあなたの家来に与える。しかしあなたの父ダビデのために、あなたの世にはそれをしないが、あなたの子の手からそれを裂き離す。ただし、わたしは国をことごとくは裂き離さず、わたしのしもべダビデのために、またわたしが選んだエルサレムのために一つの部族をあなたの子に与えるであろう」(1列王11:11–13)。

1.ソロモンは、神の言葉に反して多くの外国人の妻を愛した。

2.彼の妻たちは、ソロモンを迷わせて偽りの神々を崇拝させた。

3.彼は心から主なる神を愛さなかった。

4.彼は敬虔ではなく世俗的であった。主イエスは、「あなたは神と富の両方に仕えることはできない」と言われた。

5.彼は妻のために悪魔を崇拝するための神殿を建てた。

6.主なる神は彼に二度現れられたが、彼は多元論者となった。多元論者とは、全ての信仰は等しく真実であるという考えである。

7.彼は神の言葉を捨てた。

8.彼は、聖書の神よりも外国人の妻を愛した。

9.彼は、1コリント7:39に教えられている結婚の原則を守らなかった。「主にあって」結婚しなければならない、という教えを守らず、不信仰者と結婚した。

10.神はソロモンに対して怒られた。

11.ソロモンは神の契約を破った。

  1. ソロモンは神の言葉と聖霊によって導かれていなかった。イザヤ 11:2–3に書いてある、「その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。彼は主を恐れることを楽しみとし、その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の聞くところによって、定めをしない」。このようではなかった。ソロモンは主を恐れることを喜ばなかった。

13.神はソロモンの治める民に対して敵を送られら。

14.ソロモンは、エズラとネヘミヤの時代には行われていたこと、つまり自分自身を吟味し、罪を告白し、すべての外国人の妻と子供たちを追い払うことに失敗した。

15.彼は悪魔崇拝のために建てた寺院を破壊しなかった。

16.最も賢い人、最も裕福な人、そして最も強力な人が、愚か者になった。

結論

神の聖なる民として自分自身を吟味せよ。自らの罪を神に告白せよ。罪を捨てよ。神の御心を行え。真に悔い改め、神と父の赦しを受けた放蕩息子に倣って、神を賛美し、永遠に神を楽しむために、2021年の新年を始めよ。

イザヤ書1:18–19で神は言っておられる、

「さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、
雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。もし、あなたがたが快く従うなら、地の良き物を食べることができる。しかし、あなたがたが拒みそむくならば、つるぎで滅ぼされる」。

神が新年にあなた方全員を豊かに祝福し、あなた方が、恵みと主イエス・キリストの知識と聖さの中で成長するように祈る。