子とされること:神はわれらの父

Ephesians 1:3-6
P. G. Mathew | Sunday, October 03, 2021
Copyright © 2021, P. G. Mathew
Language [English]

子とされることこれは、神が私たちをご自分の子として扱われる、神が私たちの父となるということである。主の救いの順序は、即ち神の選び、予定、有効召命、義認、子とされる、聖化 (決定的かつ進歩的な清め)、栄化である。その中の一つが子とされることである。

それは、神が私たちの父であることを示す。神は全ての王なる方であって、その神との養子縁組のようなものである。その特徴は以下のとおりである。

1.子とされることの一般的な特徴

  1. 子とされることは、霊的再生や義認とは異なる。
  2. それは、霊的に再生され義認された人々に対する神の恵みの行為である。
  3. その人たちは、父なる神の子供となる。
  4. 子とされることにより、神の家族に加えられる。私たちは、キリストにあって兄弟姉妹となる。エペソ2:19では、「そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである」と言っている。今日的な人種の間、黒人、白人の差別はない。コロサイ3:11でパウロは宣言する。そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。1サムエル16:7で主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。神は心を見られる。だから、ガラテヤ6:1は、「だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか」と教えている。私たちは、兄弟姉妹に対して、「お互いに何かできることがないか?」と常に考え、実際に助け合うのである。そしてマタイ 25:39–40 では、義人はたずねている、「また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか」。王である主イエス・キリストは答えて言われる、「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」。これがキリストにある兄弟姉妹の意味である。
  5. 私たちは、かつて悪魔の子であった。悪魔が父であったのである。しかしそれが大変化した。今は、神の家族に変えられている。ヨハネ8:44 で主イエスは言われた、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ」。兄弟姉妹よ、すべての人間は、悪魔かそれともイエス・キリストのどちらかに聞き従うのである。ヨハネ10:10で主イエスは言っておられる、「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」。それは悪魔の破壊的な業のことである。
  6. 悪魔の子から神の子として選ばれる者は少ない。1ヨハネ5:19は言う、「また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている」。神を信じない者は、すべて悪魔の子たちである。だから主イエスは命じておられる、「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」(マタイ7:13–14)。神の選びを受ける者は少ない。永遠の命をいただく者は少ない。
  7. 子とされることは、神の恵みによる法的な行いである。それは、神が怒られる輩(やから)から神が愛される子となるのである。

2.子とされることの特異的な特徴

私たちは神の子であり、一定の特権を享受している。

  1. 主なる神に祈れるという特権 主イエスはこのように祈れと言われた、「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように」(マタイ. 6:9)。また、こうも言われた、「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである」(マタイ7:7–8)。私は長い間祈ってきた経験では、神はご自身の意志に従って私の祈りに応えてくださるということである。
  2. 救いの大いなる確信という特権 ローマ8:15–16は教えている、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」。これこそ救いの大いなる確信である。
  3. 神は私たちを愛されるからこそ訓練される 訓練というのは嫌ですか?もしも、神があなたを救いに選んでおられるなら、訓練もされるだろう。(PGM) へブル12:5–8は言っている、「また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、『わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである』。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない」。また、ほかの個所にはこう教えられている、「あなたがたの中に、弱い者や病人が大勢おり、また眠った者も少なくないのは、そのためである」(1コリント11:30)。神の訓練については、私たちの命をも取られるかもしれない、とも書いてある。しかし、神は私たちに天国の保証をしておられる(1コリント5章)。
  4. 私たちに求められるのは清さである。清くなければ誰も神をみることはない。へブル12:14は言う、「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」。私たちは主イエスの様にならなければならない。主イエス、私たちの兄であり、私たちはその弟や妹として、彼の様に清くなるように定められている。1ヨハネ3:1は教えている、「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである」。
  5. 私たちは、聖霊の導きに従って決断をする 多くの人は聖霊に導いてもらうことを欲しない。神の語られる言葉を聞きたくない。神を知らない不信者にとってそれはつまらないことである。しかし、ローマ8:14は言う、「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」。2テモテ3:16は言っている、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」。私の父も私を叱り、教え、矯正してくれた。そのような訓練は、「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」(箴言. 22:6)と教えられているとおりである。多くの人が自分の子供を崇拝している。後には、その子供たちは両親に唾を吐き、イエスに唾を吐くようになるのである。
  6. 私たちは主にある兄弟姉妹で、貧しい家庭を助ける。それは、真の教会の四つの特徴の一つである。真の教会の特徴は、すなわち、神の言葉を説教すること、礼典:バプテスマと主の晩餐、訓練、そして最後に私たちが大切にしたいこととして兄弟姉妹の助け合い、交わりである。だから私たちは兄弟姉妹に「何が困っていることはないですか?」と常にたずねる。私たちは、お互いが主にある兄弟姉妹として、同じ神の家族に属している。
  7. 私たちの天の父である神に倣う機会が与えられている。私たちは心、霊、能力、心を尽くして神を愛し、主イエスが私たちに与えられた新しい命令にも従うべきである。こう書いてある、「新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。キリストは私たちを愛し、私たちのために死なれた。夫たちよ。キリストが私たちを愛し、死なれたように、妻を愛さなければならない。これはとても大切なことである。あなたは愛を示しているだろうか?愛は犠牲である。だから、私たちは貧しい家族を助け、父親たちに「仕事を見つけて働きなさい」と言う。仕事が見つからない場合は、見つけるお手伝いもする。即ち、わたしたちは天の父に倣う特権を持っているからだ。こう書いてある、「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい」(エペソ5:1)。私たちの教会では、父なる神をこのように模倣するのである。
  8. 神は私たちの必要、特に私たちに救いを備えられる。だからこそ、私たちは決して物乞いをしない。より多くの寄付をつのるような言い回しはしない。神は与える神であられる。創世記22:7-8は記録している、「やがてイサクは父アブラハムに言った、『父よ』。彼は答えた、『子よ、わたしはここにいます』。イサクは言った、『火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか』。アブラハムは言った、『子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう』。こうしてふたりは一緒に行った」。ここで、子羊はイエス・キリストを表している。私たちの救いのために十字架で死なれたキリストである。「私たちの日々のパンを今日も私たちに与えてください」と祈るが、1テモテ6:6-10が教えるように、あなたが神の民であるなら、神に耳を傾けて神に従うのである、「しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足りるとすべきである。 富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥る。金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲張り金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」。
  9. 神は永遠の昔から私たちを子としておられたのである。エペソ1:5は言っている、「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」。神の選びの民は数少ない。その一人であることを喜ぼう。それにふさわしいから選びの民となったのではない。元は、罪人であるアダムとイブのように、悪魔の子であったのだ。しかし、今は神の子とされたことを喜ぶだけである。
  10. 神の子とされることは、キリストにあるすべての特権の頂点である。ウェストミンスター神学校のジョン・マレー師は、その真実を教えてくれました。
  11. たちは、神の子として悔い改め、神に従う。イエスの母親と兄弟たちがイエスに話したいと言ったとき、何と言われたか、「イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、『わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか』。そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、『ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである』」(マタイ12:48–50)。私たちは主にあって兄弟姉妹である。ヨハネ13:17で主イエスは言われた、「もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである」。多くの人は、神が望んでおられることを頭ではわかっていても、神に従うことはない。主イエスは言われた、「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」 (マタイ7:24)。岩とは主イエス・キリストのことである (イザヤ28:16)。
  12. 神の子とされた者たちは、神を「父、お父さん」と呼ぶ。これはアラム語で父という意味である。パウロは書いている、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ローマ8:15)。
  13. 私たちは神の相続人である。私たちの天の父が非常に裕福であることを知れ。神は天と地を創造された。彼は全てを所有しておられ、あなたの家でさえ所有しておられる。あなた自身の物ではない。ローマ人8:17にあるように、「もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである」。
  14. 神の子供たちは、あらゆる点で神の栄光をたたえようとする。1 コリント10:31には、次のように書かれている、「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」。ウェストミンスター小教理問答の最初の質問にも同じことが書いてある。人間存在の主な目的は何か? その答えは、私たちが神に栄光を帰し、神を永遠に楽しむべきである
  15. 神の養子として、私たちは権威を与えられている。ヨハネ1:12–13は教えている、「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血筋によらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである」。ホワイトハウスで子供たちが遊んでいるのを見た人がいる。誰の子供か?それは、アメリカ合衆国大統領の子供たちである。同様に、私たちには神の子供として、祈り、すべてのことを行う権利が与えられている。

結論

あなたへの質問:あなたは救われているか? あなたは神の子か? 答えが「はい」の場合は、喜べ。そうでない場合は、聞け。聖書は言う、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)。我が家は救われた。実家も救われた。全く呪われた者はいない。ローマ10:9が言っているように、「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」。

なんとすごいことか?あなたは今日神の子となれる。主イエス・キリストを信じなさい。あなたが従っていくのが、あなたの主人である。それは、悪魔か、それとも主イエス・キリストか?キリストを信じていくなら、あなたは神の子とされていることを誇りに思うようになる!ローマ6:22は言っている、「しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、清さに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである」。これこそ祝福である。”私たちは神の言葉を聞いて従うので、従う者は祝福されている教会である。 もし神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるか? 復活後、主イエスは弟子たちに次のように言われた、「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」(ヨハネ20:17)。私たちが神の御心を聞き、それを実行し続け、子としての大きな祝福を享受できるよう、神が助けてくださいますように。