良い土地、キリスト者
2 Peter 1:10; Luke 8:4–15P. G. Mathew | Sunday, March 14, 2021
Copyright © 2021, P. G. Mathew
Language [English]
4つの土地のたとえは、マタイ 13 章、マルコ 4 章、ルカ 8 章に見られ、このたとえの中心は、2 ペテロ 1:10 に要約されている: 「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」。どのようにこれを実行するべきか?それは、今、主イエスに従うことによって実行するのである。
へブル5:8–9は言っている、「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、まったき者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となられた」。質問は、あなたは主イエスに従うか?ということです。そうならば、あなたは霊的に再生しており選びの民である。「主イエス」と呼んで主に従わないのであれば、それはあなたが救われていないことを示す。
たとえ話は、神の選びの民に福音を明らかにする。同時に、それは福音をその他の者から隠してしまう。マタイ13:11で主イエスは言われた、「そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない」。多くの者は再生されておらず、選び出されていない。再生される者は実にわずかである。そして、マタイ 11:25–27には次のように書かれている、「そのときイエスは声をあげて言われた、『天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに御こころにかなった事でした。すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません』」。同じ家族であっても、選びの民である者とそうでない者がいる場合がある。
聖霊によって福音を伝える者は、言い換えれば、主なる神に召されて遣わされており、福音を伝えているのである(ローマ 10:15)。そういう牧師は教会への神から贈られている。エペソ4:11は言っている、「そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった」。真の牧師は敬虔で学識がある。神によって遣わされているので、決してお金を求めない。彼を任命した聖霊に満たされている。使徒20:28でパウロは言っている、「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧会するために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである」。パウロは続けて、「神が御子の血であがない取られた神の教会を牧会しなさい」と言っている。御子の血は最高の代価である。誰も救いを買いとることはできない。選びの民への恵みの贈り物である。
真の牧師は聖書の権威に献身的である。 2 テモテ 3:16–17 で言っているように、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」。真の牧師は神の言葉を知っており、正しく解釈する。
真の牧師は、4つの土地、即ち4つのタイプに人々が教会にいること知っている。そのうち3 つは、選びの民ではない。再生されないため、実りがない。彼らはいつも罪を犯すことに集中する。正しい告白をしたということで、彼らはバプテスマを受けるが、彼らは再生されず、悔い改めず、信仰の従順を欠いている。ヨハネが言うように、やがて彼らは罪を犯すためにキリストの聖なる教会を去る。「彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである」(1ヨハネ2:19)。そのような人々は、最終的にはサタンの会堂に加わり、神の言葉がのべ伝えられるキリストの聖なる教会の悪口を言うであろう。
イエスご自身が、マタイ 5:11–12 でそのような人々について警告された、 「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。
主ご自身がイザヤに最初の三つの土地について語られた。イザヤ書6:9–10:「主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。あなたがたはくりかえし見るがよい、しかしわかってはならない』と。あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされる(救われる)ことのないためである」。
1.道端の土地
使徒言行録 24:25 は、道端の土地に例えられる人々について書いている、「そこで、パウロが、正義、節制、未来の審判などについて論じていると、ペリクスは不安を感じてきて、言った、「きょうはこれで帰るがよい。また、よい機会を得たら、呼び出すことにする」。私の見解では、ほとんどの政治家は、フェリックスのような道端の土地にあたる人々である。
教会には道端の土地のような日人々がいるが、彼らは選びの民ではない。彼らは再生されず、彼らの父は悪魔である。イエスは当時の宗教的な人々にこう言った、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ」(ヨハネ8:44)。
そのような人々は、神を礼拝する以外の理由で教会に来る。彼らは、サイモン・マガスのようである。ペテロはマガスに言った、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。おまえの心が神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない」(使徒8:20-21)。
そのような人々は福音を理解していない。教会に来る目的は他にもあります。彼らには福音はどうでもよく、この世界だけに関心がある。ルカ16章に出てくる、金持ちのように、円満な引退を目指しており、実を結ばない。
2.石だらけの土地
石だらけの土地にあたる人々も教会にいる。彼らもまた、選びの民ではない。再生されず、実りもない。彼らもまた、彼らの父である悪魔に従う。ローマ 6:16 でパウロは次のように書いている、「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである」。
1ヨハネ5:19は言う、また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている(ヨハネ10:10参照)。これは悪魔についても語っている。アダムとイブは、真実を語る神の顔に唾を吐き、悪魔に従った (創世記3章)。
そのような人々は感情的で、反律法主義的で、キリストのために苦しむことに対してアレルギーがある。彼らもやがて教会を離れ、福音を説く牧師の悪口を言うであろう。そのような人々は永遠に呪われている。
3.いばらの生えた土地
いばらの生い茂る土地のような人々も教会におり、選びの民ではなく、やはり再生されていない。彼らの注目はこの人生のみにある。彼らは大きな家を持っているかもしれない。彼らはお金を崇拝する。マタイ 16:26で主イエスは言われる、「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」。答えは、できない、である。
いばらの土地である人は、欲望に満ちた生活を送る。ヨハネはそのような生活について警告している、「世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」(1ヨハネ2:15–17)。パウロの書簡に出てくるデマスという人がこれにあたる、「デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った」(2テモテ4:10)。デマスはパウロを捨てて、金を稼ぐためにテサロニケに行った。イエスを裏切って金を手に入れたユダのような者である。ユダは最後に首を吊った。ユダとデマスは教会を去った。
主イエスはお金を崇拝する人々に警告しておられる、「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイ6:24)。いばらの土地である人は偽のクリスチャンである。彼らは、イエスの名において健康、富、権力、名声を説く。パウロはそのような人々について、2コリント11:13–15 で次のように書いている、「こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、その仕業に合ったものとなろう」。
4.良い土地であるキリスト者
最初の 3つの土地に代表される人々を説明した後、ルカ 8:15 で、主イエスは第 4 の土地にあたる人々、つまりキリスト者について次のように説明している、「良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」。
1.良い土地である人はキリスト者であり選びの民である
エペソ1:4でパウロは言っている、l「御前にきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選ばれた」。そして、2ペテロ1:10で、ペテロが書いている、「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」。また、1 コリント1:27–30は言っている、「それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである」。キリストご自身が私たちの義であり、聖であり、贖罪である。
ローマ8:28–30でパウロは書いている、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである」。そしてルカ10:20で主イエスは弟子たちに、「しかし、霊があなたに服従することを喜ぶのではなく、あなたの名前が世界の創造の前に天に書かれていることを喜べ」と言われた。
2.良い土地である人は霊的に再生されている
使徒16:14にある、「ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた」。エペソ2:3–5にパウロは書いている、「また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし―あなたがたの救われたのは、恵みによるのである」。
キリスト者は霊的に再生されている。2コリント 5:17 には、次のように書かれている、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。また、ヨハネ3:3, 5,で、主イエスはニコデモに言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない」。
エゼキエル 36:25–27 は、神の再生の働きについて教えている、「わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる」。聖霊によって、私たちは罪を殺し、神に従うことができる。もし私たちが霊的に再生しなければ、神に喜ばれることは一切ない。
3.良い土地である人は迫害される
主イエスは弟子となる者についてマタイ5:10–12で言っておられる、「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。
4.良い土地である人は最後まで堅忍される
ローマ5:3–5でパウロは書いている、「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。
5.良い土地である人は5つのステップを通る
アルファベット5文字で、原罪による人の完全な堕落、神による無条件の選び、限定的贖罪、拒否できない神の恩寵、そして最後まで堅忍される、これらを信じる信仰者である。
6.良い土地である人は実を結ぶ
良い土地であるキリスト者は、三十、六十、百倍の実を結ぶ。エペソ2:10 で、パウロは次のように宣言している、「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである」。ヨハネ 15 章で教えられているように、良い土地キリスト者は、実を多く結ぶが、そうではない者は、実を結ばず、彼らはいずれ切り捨てられて、乾かされ、集められ、燃える地獄の火に投げ込まれるのである。
へブル5:8–9は教えている、「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、まったき者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となる」。彼らは悔い改めによって信仰の従順に従って生きる。ガラテヤ 5:22–23で、パウロはこの実が何であるかを語っている、「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」。
使徒2~4章 では、初期の教会には貧しい人々がいたために、キリスト者が財産を売り、お金を持ってきて、使徒たちの足元に置いたと書かれている。(PGM)マタイ 25:31–46 では、主の兄弟姉妹の世話をしたかどうかに基づく最後の審判について言っている。我々の教会では、教会の4つ目の重要項目として、キリスト者の交わりを追加している。私たちは人々と話し、彼らの問題が何であるかを見つけ、彼らを助ける。
7.良い土地である人は強い信仰を持っている
良い土地であるキリスト者は、悪魔に取り憑かれた娘を持つシロ・フェニキア人の女性にもみられる信仰を持つといえる (マタイ 15:24–28)。彼女はイエスに助けを求めに来ましたが、イエスは「私は犬に遣わされていません」と言いました。彼女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。主イエスは言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」その時に、娘はいやされた」。それは、「はい、私は犬ですが、私はあなたの犬であり、犬も食する必要があります」という信仰である。
8.良い土地である人はルカの福音書にでてくる取税人のようである
良い土地であるキリスト者は、ルカ18章に記録されている取税人のようなものである。「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と彼は祈った。彼は永遠に義とされて家に帰ったと聖書は言っている。
9.良い土地である人は富を得た若い代議士のようではない
富を得た若い代議士は、多くのお金と大きな権力を持っていた。しかし、彼は不満があった。イエスのところに来て、「永遠の命を受け継ぐために何をしなければなりませんか」と尋ねたのである。主イエスは彼に言われた、「行って、持っているものをすべて売り払い、貧しい人に与え、それから来て、私についてきなさい」。これを聞いたその若者は悲しんで立ち去った。
10.良い土地である人は神の言葉を聞いて従う
神の選びの民は再生されており、神の意志を聞き、それを行う。出エジプト記 21:5–6は、次のように言っている、「奴隷がもし『わたしは、わたしの主人と、わたしの妻と子供を愛します。わたしは自由の身となって去ることを好みません』と明言するならば、その主人は彼を神のもとに連れて行き、戸あるいは柱のところに連れて行って、主人は、きりで彼の耳を刺し通さなければならない。そうすれば彼はいつまでもこれに仕えるであろう」。そして詩篇40:6 は、主イエスについて語っている、「あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたはわたしの耳を開かれた。あなたは燔祭と罪祭とを求められない」。
主イエスは罪を犯さず、父なる神が言われたことを聞き、行われた。主イエスは、「できれば、この杯、即ち十字架の死を私から取り除いてください」と祈られた。父なる神は「それはありえない」と答えられ、主イエスはこの道を貫かれた。人々は主イエスに唾を吐き、平手打ちし、頭にいばらの冠をかぶせ、殴った。そして主イエスは十字架につけられ、「罪を知らなかった人キリストは、私たちが神の義となるために、罪となられた」のである。キリストが私たちの罪を負ってくださったので、私たちは救われた。
マタイ7:24は言っている、「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。つまり、キリストについてそのような人々はこう言う、「私は主イエスを愛しています。私の人生の主であるイエス・キリストの命じられることを聞いて、すぐに、正確に、そして喜んで行います。これが私の幸せです」。
詩編119:32は言っている、「あなたがわたしの心を広くされるとき、わたしはあなたの戒めの道を走ります」。主イエスは言われた、「しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである」(ヨハネ14:31)。
11.良い土地であるキリスト者は支払うべき代価を知る
良い土地であるキリスト者はキリストの弟子として払うべき代価の大きさを知る。「大勢の群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、『だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない』」(ルカ14:25–27)。良い土地であるキリスト者はキリストの弟子として払うべき代価の大きさを知る。
ペテロは十字架につけられ、パウロは断頭され、ステパノは石で打ち殺された。今日でも、世界中の多くの人がイエス・キリストへの信仰のために殺されている。
神が私たちを良い土地であるキリスト者となることを助けてくださいますように。私たち内住される聖霊の力によって、主イエスの御心を即座に、正確に、喜んで聞いて行うように。
イザヤ64:5は言っている、「あなたは喜んで義を行い、あなたの道にあって、あなたを記念する者を助けられる」。
12.良い土地であるキリスト者はキリストとの個人的契約を持つ
最後の要点として、ローマ10:9に非常に重要な教えがある。パウロは書いている、「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」。言い換えれば、「私は主の奴隷で、その証印が押されています。私は主を愛しているので、その意志を聞いて実行します」ということである。
ピリピ2:12–13でパウロは教えている、「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」。
結論
私たちが持てる最大の保証はローマ8:16節にある、「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」のである。マーティン・ロイド=ジョーンズ師、これ以上の保証はないと述べた。これは私たちが持つことができる最高の保証である。これは、私たちが救われ、永遠に救われるという、再生された霊に対する聖霊の保証である。それは永遠の保証である。主イエス・キリストの再臨の時までに、私たちが老化し、病気になり、死ぬかもしれない。しかし、その間も、神は私たちと共におられる。私たちを見捨てることはない。詩篇48:14に書いてある、
「これこそ神であり、世々かぎりなくわれらの神であって、とこしえにわれらを導かれるであろう」。
「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」(2ペテロ1:10)。
御聖霊によって原罪を指摘されているならば、罪を悔い改めて主イエスを信ぜよ。主イエスはあなたを救い、あなたを良い土地、即ちキリスト者にされる。ウェストミンスター小教理問答は、最初にこう問う、「人間の存在の主な目的は何ですか?」。その答えは、神を褒め称え、神に従い、永遠に神を喜ぶことである。今日、私たちがそうするのを神が助けてくださいますように。アーメン。
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