より若年の時からの主なる神による訓練は、一生の間その人を保つ、第一

Proverbs 22:6
P. G. Mathew | Sunday, November 15, 2020
Copyright © 2020, P. G. Mathew
Language [English]

さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、蛇が最も狡猾であった。蛇は女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。

女は蛇に言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。

蛇は女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

この個所から、二つの点について話したいと思う。第一に、アダムの最初の家族について、そして第二に、より若年の時からの主なる神による訓練は一生の間その人を保つ、ということについてである。

1. 最初の家族:アダムの家族

最初のポイントは、アダムの最初の家族についてである。その特徴を見てみる。

  1. アダムは、悪魔である蛇を支配しないでそのままにしていたこと、これによって神に背いたのである。創世記1:26、28で、神がアダムに支配する権威を与えられたと読みました。神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」

アダムは支配する権威を与えられていたのに、これを行使せずに失敗したのである。夫には権威が与えられ、妻にも権威が与えられている。しかし、彼らはそれを適切に行使しなかったのである。「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」(箴言22:6)。主なる神による訓練は、一生その人を保ち、また、人生が終わったあとも続くのである。

  1. アダムは禁断の果実を食べて悪魔に従うことにより、神に背いた。アダムは神が創世記で言われたこと、創世記2:17の命令に注意を払わなかった、「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。しかし、悪魔は言った、「あなたは決して死なない」。

最後のアダム、イエス・キリストは誘惑されたが、彼は決して罪を犯さなかった。悪魔が誘惑しに来たとき、主イエスは、「このように聖書に書かれている」と言って、対抗された。「父なる神の御心は聖書に書かれている。私は聖書に従う」(マタイ4章を参照)。彼は決して罪を犯されなかった。

  1. アダムは「全ての偽善者の父」である悪魔を信じた(ヨハネ8:44)。
  2. アダムは悪魔に反対しなかった。アダムは家族の長であり、そのように神から任されていたが、悪魔に反対しなかった。
  3. アダムは、神ではなく悪魔を信じたイブに反対しなかった。神は、「それを食べると、あなたは死ぬ」と言われ。悪魔は、「食べても死なない」と言った。 アダムとイブは神ではなく悪魔を信じた。
  4. アダムは、悪魔から妻を守ることをせず、妻の頭として機能していなかった。 夫は家族全員を悪魔から守る責任がある。あなたが夫であるなら、神があなたに与えられた権威を行使すべきである。1コリント11:3には、あなたが家族の頭であり、あなたの頭はキリストであると言っている。
  5. アダムは不従順によって罪を犯した。イブは悪魔にだまされたが(1テモテ2:14)、アダムは神に背いた。
  6. アダムは、真理の神ではなく、悪魔を信じた。主イエスは、「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と言われた。
  7. アダムは、妻から与えられた果物を食べた。
  8. アダムは、神ではなく、妻と悪魔に従った。
  9. フェミニズムは、妻が家族の長であると言う。イブは創世記3:1–7で8回言及されているが、アダムは1回しか言及されていない。そしてこの箇所で、アダムは決して語ることはなかった。彼は食べたが、語らない。彼は語る権威を失っている。
  10. アダムとイブは、神のようになりたい、または神よりも優れていることを望んだ。それはプライドである。
  11. アダムとイブは悪魔のようになった。
  12. 完全な人間の堕落はエデンの園で生まれた。それこそ古代の歴史である。
  13. ローマ人6:16は、あなたが従う相手は主人となると言っている。悪魔はアダムとイブの主人になり、アダムとイブは彼の奴隷になった。
  14. 神には秩序があり、悪魔には秩序がある。神の秩序とは、アダムがイブに対して権威を行使することであった。悪魔の秩序とは、イブに権威を与えることで、アダムに対して権威を行使することである。
  15. ローマ5:12にアダムが我々に残したものがある、「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである」である。アダムの遺産、それは我々に罪と死をもたらしたということである。
  16. 受け身の態度の夫はエデンの園で生まれた。妻は夫に何度も言う、「外で靴をぬぎなさい」。すると、夫は、素直に靴を脱いで外に出すのである。これとは違い、私の家では、私の父がリーダーであった。父が言うことには我々家族は従った。私がこの国に来たとき、ほとんどの家では母親が上司であることに気づいた。
  17. アダムが食べているのを見るが、話したり支配したりしていない。神はアダムが話し、支配することを望んでおられました。しかし、彼はただ食べているだけである。イブは善悪の知識の木の実を摘み、それを食べた。それから彼女は、その実をとってアダムに与えた。そして彼は疑うことなくそれを食べた。
  18. アダムは神に代わって被造物を支配することになっていた。イブはそれを助けることになっていた。しかし、彼らはそれをしていない。
  19. 神の言葉は真実である。アダムとイブは、神の命令に背いて善悪の知識の木の実を食べたときに霊的に死んだ。
  20. たがそれを食べる日、きっと死ぬ」。しかし悪魔は言った、「神は嫉妬しているのだ。彼は競争を望まない。あなたがそれを食べたら、神のようになるということを知っているからだ」。 しかし、彼らは霊的にも肉体的にも死んだ。主イエスは、「父なる神の言葉は真理です」と言われた。私たちの教会では、神の言葉を説き、義を教え、叱責し、矯正し、訓練する。それは有益である。私自身、父からも生活の中で、このように教えられた。これに反して、悪魔は殺人者であり、すべての嘘の父である。
  21. 神に感謝すべきことには、神はアダムとイブのみならず、あるものたちを救い、悪魔を滅ぼす計画を持たれていた。創世記3:15で、主は蛇(悪魔)に言われた、「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。1ヨハネ3:8は言っている、「罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである」。

<イエスは悪魔の働きを破壊するために来られた。永遠の神の御子は人となられた。常に父なる神に従い、私たちの罪を贖って、死なれた。「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ローマ6:23)。

神に感謝します、神は救いの計画を持っておられた!あなたは創造の前に永遠から選ばれ、この時間内に再生され、義とされ、栄光を受けるために聖化される。あなたは神を顔と顔とを向き合って見ることになるであろう。

2. 若年の時からの神による一生の間と後にもその人を保つ

箴言22:6は言っている、「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」。それが私自身にも言えることです。私は幼い頃から聖書、特に箴言を含む知恵で育ちました。日曜日には詩篇を暗記しました。

親は子供の霊性に責任がある。家で学んだことは、自分たちが将来の家庭をもったときに行うであろう。ウェストミンスターのジェイ・アダムズ師は、何かが習慣になるには6週間かかると教えていた。そうすれば自然にするようになる。たとえば、太りすぎを解消したい場合、6週間の食事制限が習慣化の分かれ目になる。夜に祈る習慣を、6週間継続すれば、習慣になる。

父親は家の長である。父親は朝と夕に家族と話す時間を設けるのが良い。私の父は話し、祈った。私たちは毎朝夕に祈った。私たち家族は毎朝5時に起きることになっていて、5時から6時まで朝の祈りをした。夕にも、1時間以上、祈った。その間も、父は聖書を私たちに教えた。

若年期における神を畏れる生き方、その訓練の効果は一生の間保たれるのである。私の両親も教えてくれた。あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである(出エジプト. 20:12)。それは長寿のみならず、永遠の命である。長寿は永遠の命の象徴として書かれている。

申命記5:16節では、あなたの父と母を敬えと教えられている。これを主なる神が命じておられる。あなたの神、主であって、永遠の、全能の、無限の神が命じておられる。あなたが神と争うなら、あなたは負け、神が勝たれる。(PGM)神は常に勝たれる。「あなたが長生きし、あなたの神、主があなたに与えてくださる地で、祝福されるように」と、その聖句は続く。ここでは、神への従順から生じる二つの祝福が語られている。それは永遠の命と繁栄である。繁栄とは何か?それは、テモテへの手紙に書かれている繁栄である(1テモテ6:8)。神は私たちに衣食を一日中提供してくださる。

両親よ、子供たちを幼少から導き、主イエス・キリストを信じるようにせよ。これはあなたの最も重要な仕事で、スポーツやその他の世俗的な過去の時代のことについて色々と彼らに教えることはするな。子供たちは敬虔になりたいと思ってはいない。世俗的になりたいと思っているのだ。私自身の経験でもそうである。子供たちは世俗的になりたいと思っている。そして彼らは敬虔ではなく世俗的になった。

私たち全員が最初にしなければならないことは、主イエスを信じて救われること、そして神の家族となることである(使徒16:31)。それは世界で最も重要なことである。

親は神から権威を与えられている。子供たちは親を尊敬し、その言葉に応答し、結果として神からの祝福を受けるべきである。私もそうであった。私の両親は今主と共にいますが、両親が訓練してくれていたので、神からの祝福を受けており、その祝福が続いているのです。

神は私たちの従順を祝福される。使徒行伝8章で、ピリポはエチオピアの宦官の馬車に同乗するように聖霊に示され、すぐにそう従ったと記録されている。尊敬し、応答し、祝福を受ける、直ちに、正確に、そして喜んで従う、あなたの子供はそうしていますか?私はそうしていた。その結果、私は祝福された人としてあなたの前に立っている。主は私たちの羊飼いであり、私たち羊である。私たちには何も欠けることなない。

エペソ6:1–3を考えよ。パウロは、「子供たちよ、主にあってあなたの両親に従いなさい」と始めている。これは主の御心であることを意味している。子供たちが両親に従わない場合、そして神が彼らを憐れんで救われない限り、彼らは永遠に堕落していく。神に従うことは「正しい」と信じ、直ちに、正確に、そして喜んであなたの両親に従え。これこそ義であり、神の御心である。「あなたの父と母を敬え」は、約束の最初の戒めでである。「そうすれば、あなたはこの地上で幸いを得、長寿[永遠の命]を楽しむことができるでしょう」と聖書は教えている。私は永遠のいのち以外の長寿を望んでいない。永遠の命、それは義が宿る新しい天と新しい地、即ち神と共に住むことである。それが本当の幸せの事実である。

最初の祝福は永遠の命であり、2番目の祝福は繁栄である。週に6日働いていれば、衣食に欠けることはない。神は怠惰な人を憎まれる。2テサロニケ3:7と11節に書いてある、「わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかった。ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである」。怠惰な人々は働くことを嫌う。もしあなたが学生なら、一生懸命勉強し、祈り、就職し、上司に従い、上司を喜ばせよ。そうすれば昇進するであろう。雇用主は常に昇進できる人を探している。

家族の救いはどうか?古代の家庭は、両親、祖父母、子供、孫、使用人などで構成されていた。 ヨシュアは言った、「わたしとわたしの家とは主に仕えます」(ヨシュア24:15)。以前ヨシュアの基本的な言動はこうであった、「あなたはしたいようにしなさい。古い神々を崇拝したいですか? どうぞ」。まさに、神々の崇拝、これはソロモンがしたことである。ソロモンは最も裕福な王であったが、邪悪な人となり下がった。これとはちがい、ヨシュアは「私たちは主に仕えます」と宣言した。

使徒行伝2章で、ペテロは「(キリストによる救いの)約束はあなたとあなたの子供たちのためです」と宣言している。あなたが自分の子供を愛しているなら、彼らを敬虔に育てるであろう。「この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」(使徒2:39)。主は言っておられる、「わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである」イザヤ44:3。

神が私たちの子供たちを敬虔に訓練するよう助けてくださいますように。 アーメン。

[1] より詳しくは参照されたい P. G. Mathew, “Adam, Where Are You?” at https://gracevalley.org/sermon/adam-where-are-you/.