子とされる:神の家族に属する
John 1:12-13P. G. Mathew | Sunday, October 06, 2019
Copyright © 2019, P. G. Mathew
Language [English]
初めに
アダムが堕落してから、以後人類全ての子孫は悪魔の奴隷となり下がった。我々人間は、悪魔の子となり、悪魔に仕えているのである。我々人間は、神に従わなかった。
I. 神に属する子とされる
主イエスはパリサイ人に言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである」(ヨハネ 8:42)。さらに言われた、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ」(ヨハネ 8:44)。あなたの子供が嘘をつくとき、祖の子も悪魔から促されてそうしている。世界の誰もが、神か悪魔のいずれかに従うのである。
神の選びの民は悪魔の家族から救出され、イエス・キリストの贖いによって、神の子どもとされる(コロサイ1:13)。神の怒りにある不従順の子である人間は、神の慈悲にある従順の子となる。あなたが霊的に再生され、義とされ、神の養子になったという証拠は、神の意志に従っているかどうかで判断される。具体的には、両親への服従、牧師への服従、即ち神への服従である。
神は、霊的に死んでいる状態の人間を再生させ、霊と道徳において復活させる。次に、裁き主である神は、その人間をイエス・キリストを通して義と認めることによって、法的に正しい地位を与えられる。したがって、次のように書かれている:
- ローマ4:25:「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである」。
- 2コリント5:21:「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」。
- 1ペテロ3:18:「キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである」。これがキリストによる代替贖罪である。
主なる神が行われる養子縁組では、神は我々を彼の家族の一員にされる。養子縁組は神の自由な恵みの行為であり、それによって、イエス・キリストを信じる家族の一員とみなされる。
- ヨハネ1:12:「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」。
- ガラテヤ3:26: 「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである」。
霊的に再生され、義とされたすべての人々は、神の子どもとされる。神の息子と娘であり、兄弟姉妹である。そして、神の家族には差別はない。
- コロサイ3:11:「そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである」。
- 2コリント6:18:「わたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう」。
神の養子になった人は、父なる神との永続的な親密さの中に生きる。神の養子縁組は、我々が神の家族に属するという最高の祝福である。それゆえ、神は彼の独り子を愛されるように、我々を愛される。養子になった息子と娘は、神の子どもたちの自由と特権を享受する。
義とされることは、最高の養子縁組の祝福への道を明確にする。放蕩息子は悔い改めて父の家に戻った。彼は言った、「私は神とあなたに対して罪を犯しました。ですから、私を飢えないよう、奴隷として雇ってください」。罪人が悔い改めると天国は喜ぶ。放蕩息子の父親は喜び、彼を奴隷はせず、息子として再び迎え入れた。
代わりに、父親は彼を息子として扱い、彼を風呂に入れ、新しい着物を着せ、新しい指輪と新しい靴を与えた上、帰ってきた放蕩息子のために大宴会と祝賀会を開いた。これらはすべて、放蕩息子は奴隷ではなく息子として父親に受け入れられたことを示していた。死んでいた者が生きており、失われた者が見つかったのである。それは輝かしい喜びである!
これは、イエスを信じるすべての人に当てはまる。我々は再生され、義とされ神の息子や娘として養子とされたのである。 このため、我々は喜ぶことができるのである!ペテロは書いている、「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。」(1ペテロ1:8)。
養子になった神の人々は、苦しみにあっても常に喜ぶことがきる(ローマ5:3)。天国にも地上にも大きな喜びがある。神の養子が大いに喜ぶのは神の御心である。我々が、この教会で行っている礼拝がそれである。それは、神に対する敬意と喜びである。
養子縁組は、義認と同様、父なる神による司法行為であって、養子縁組を通して、神は我々に息子や娘の地位を与えられる。以前、地位はなく死んでおり、何もなかった。無力で不信心な罪人であった我々は神の敵であった。愚かで、低劣、虚弱、軽薄、即ち全くのゼロであった。
養子になった子供たちとして、我々は父なる神との永遠の関係を享受する。聖アウグスティヌスは、「神に安らぎを見いだすまで、我々の心は落ち着かない」と言っている。神ご自身が我々の家のような存在となるのである。
神の子となることには、将来的な側面もある。以下のように書いてある:
- 1ヨハネ3:2:「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。」
- ローマ8:23:「それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。」
- ピリピ3:21:「彼(イエス・キリスト)は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」
神による養子縁組では、家族の構成員の間に差別はない:
- コロサイ3:11:「そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。」
- 1Timothy5:1–2:「老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい。若い男には兄弟に対するように、年とった女には母親に対するように、若い女には、真に純潔な思いをもって、姉妹に対するように、勧告しなさい。私自身は、リバイバルの中で育った。すべてのリバイバルは聖霊の新鮮な注ぎによって起こる。我々のこの教会も、そのリバイバルに基づいている。 インドのカースト制度で、最下位のカーストに属していた2人の姉妹がいた。しかし、リバイバルが来たとき、我々は、彼女たちマーサとメアリーは、我が母親のようであった。我々は、彼女たちの存在を喜んだ。これが、教会で神の養子となった人々に対する態度である。
神の選びの民は、父なる神により養子とされるのである。パウロは言っている、「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」(エペソ1:5)。
神がキリストにあって息子や娘とされるのであり、アダムが堕落する以前の立場に戻されているのである。
- ヨハネ10:28–30:「わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。わたしと父とは一つである」。神があなたを霊的に再生され、義と認められ、子とされたなら、それは永遠の安全を持っていることになる。彼は全能の神で、あなたは最後まで守られる。そして、あなたが死ぬときでも、あなたが栄光を受け、天の国に行くであろう。神の慈悲によって最後まで守られる、永遠の安全である。神ご自身が守られるからである。
- ローマ8:30:「そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。」
神の民は世界のどこでも兄弟姉妹である。だから、神の教会は、神の愛が支配する家族である。以下のように書いてある:
- 互いに仕えなさい:「キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである」(エペソ5:21)。
- 主イエスが愛されたように互いに愛しなさい: 「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか」(1ヨハネ3:16–17)。キリストが建てる教会は教派を超えている。ヨハネは、我々は兄弟の為に自分の命を捨てるべきだと言っている。選択の余地はない。だから、養子として、本物の信仰者は、世界中の本物の信仰者すべてを愛すべきである。教派内や地元の教会の一部の人々だけではなく、それ以外にいる兄弟姉妹も犠牲的に愛すべきである。そして、世界中の神のすべての本物の信仰者の為に、愛を示し、祈る。
- 他の人々を自分よりすぐれた者と考えなさい: 「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」(ピリピ2:3)。
御聖霊は我々の中に神への信頼と愛を創り出し、神の養子であるとの確信に導かれる。
- ローマ8:15:「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」。
ユダヤ人は父なる神を「アバ」(父)とは呼ばなかったが、主イエスはそう呼ばれた。
- マルコ14:36:「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。
それは、主イエスが愛する父なる神から来られた方だからである。
- マルコ1:11:「すると天から声があった、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」。
ウェストミンスター小教理問答、問34の答えは言う、「子とされることも、神の一方的恵みによる決定である。それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになれるのである」。神は養子縁組を通して我々にすべての権利、すべての特権を与えてくださる。それでは、養子縁組の祝福と、神の家族の一員であることの義務について見てみよう。
II. 子とされることの祝福と義務
- 我々は神の相続者、キリストとの共同相続者である。父なる神は豊かであるので、我々も豊である。
- 2コリント8:9:「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである」。すべての本物のキリスト者は、父なる神に属していることを富んでいる。そして、神が我々のために存在されるから、誰も対抗することができないのである。
- ローマ8:17:「もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのであ」。
- 2コリント12:14:「さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしている。しかし、負担はかけないつもりである。わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身である。いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである。」
- 神の名前が我々に刻まれている。
- エレミヤ14:9:「主よ、あなたはわれわれのうちにいらせられます。
われわれは、御名によって呼ばれている者です。われわれを見捨てないでください」。 - 2コリント6:18:「わたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、
わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。 - 黙示録3:12:「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう」。名前は非常に重要だ。我々の文化では、その名前を非常に高く評価しているので、家族に恥をかかせることはしない。
- エレミヤ14:9:「主よ、あなたはわれわれのうちにいらせられます。
- 子とされる霊を与えられる。
- ローマ8:15:「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」。
- 我々はいつでもどこでも父なる神にアクセスできる。
- エペソ3:12:「この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである」。我々は、恐れることなく神に近づくことができ、神は祈りを聞いて答えてくださる。
- ローマ5:2:「わたしたちは、さらに主イエス・キリストにより、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる」。
- 我々は父なる神を「アバ父」と呼ぶ。
- ガラテヤ4:6:「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである」。そして、我々の父なる神は常に我々に耳を傾け、ニーズに応えられる。
- 神は我々を憐れまれる。
- 詩篇103:13:「父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる」。
- 神は我々を守られる。
- 箴言14:26:「主を恐れることによって人は安心を得、
その子らはのがれ場を得る」。 - ゼカリヤ2:5:「神は我々の周囲では火の城壁、我々のただ中では栄光であられる」。
- 箴言14:26:「主を恐れることによって人は安心を得、
- 神は我々の為に備えられる。神はここ数年、私と私の家族に必要なものを全て備えて下さった。
- マタイ6:30,32:「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである」。
- 創世記22:8:「アブラハムは言った、『子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう』。こうしてふたりは一緒に行った」。父なる神は神の子たちにとってエホバ・エレである。これこそ、起こった出来事そのものである。バプテスマのヨハネは、「世の罪を取り除く神の小羊を見よ」と言った。主イエス・キリストが来て我々の罪を取り除いたのである。2重の贖罪、キリストが十字架で死なれたとき、信じる者すべての罪、罰、死、地獄を受け取られた。これによって、我々に完全な義と栄光を与えられた。キリストは私とあなたのために死なれたが、主なる神は我々をご覧になる場合、キリストの完全な義に身にまとっている正しい人を見られるのだ。
- 神は我々を訓練される。「訓練」という言葉には2つの意味がある。一つは、聖書で明らかにされている神の御心を教える、という意味である。もう一つは、我々がそのまっすぐで狭い道から脱線しないよう、神は罰し、我々を正しい道に連れ戻される、という意味である。
- へブル12:6:「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。真の愛は訓練を行う。
- 箴言13:24:「むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる」。箴言を読むのは良いことである。「叱る杖」が数回表示される。聞くだけで行わないことには祝福はない。我々が神の言葉を聞いて行うとき、神の祝福が我々にもたらされる。
- 神は父親として我々を愛される。だからこそ、訓練される。
- へブル12:6:「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
- 神は決して我々を見捨てられない。神は決して我々を捨てられない。
- 哀歌3:31:「主はとこしえにこのような人を捨てられないからである」。神は我々を霊的に再生され、義とされ、養子とされた場合、それは我々を天国に相応しい者とされる、ということである。
- 我々は、保証として贖いの聖霊によって封印を押されている。神ご自身が合保証されるのである。
- エペソ4:30:「神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである」。神は我々を救う保証をされる。従って、我々はあくまでも救い倒されるであろう。
- 神が我々を守られるので、我々は忍耐できる。改革神学では、TULIPの頭文字で人間の完全な堕落、無条件の選び、限定された贖罪、抵抗不可能な恵み、聖徒の堅忍を教えている。神ご自身が最後まで忍耐するのを助けてくださるのである。
- へブル6:12:「怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない」。
- 我々には救いの保証がある。神が約束されること、それは神ご自身が行われることである。ピリピの監守が質問した、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒言行録16:30–31)。神は真実である。嘘をつかない。 そして、その約束はすべて真実である。
- 1ペテロ1:3–4:「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである」。「受け継ぐ」とは、神聖な受け身形のことばで、我々を天の国にて受け継がれることを意味する。
- へブル1:14:「御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた」。
- 父なる神が我々を子とされる。父なる神は我々を義とされる。
- 1ヨハネ3:1:「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである」。(ピリピ3:20–21). 永遠の過去から、神は我々を愛し導かれた。やがて、我々は神によって召され、義とされ、子とされ、主イエスが再臨されるときに栄光を授けられるであろう(ピリピ3:20–21)。
- 子とされることは、主イエスを通してなされる。イエス・キリストの贖いを信じなければ、神の子とされることはない。
- エペソ1:5:「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである」。我々は何にも値しなかった。しかし、神に感謝する。我々を選び、有効に召命され、栄光を受けるように我々を義とされた。
- 神の家族に新しい子供が歓迎される。家族は、愛と愛情を持って新しい子供の到来を喜ぶ。同様に、イエス・キリストを信じる新しい子供たちが、神の家族として歓迎されるのである。したがって、我々は恐れることなく信仰を分かち合うべきである(PGM)。パウロはいった、「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である」(ローマ1:16)。世界が必要としているものを我々は持っている。人々はこれ以上お金を必要としていない。彼らはイエス・キリストへの信仰によって救われる必要がある。
- 父なる神は祈りに基づいて聖霊を与えられる。
- ルカ11:13:「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。祈れ。そうすれば神はあなたに聖霊のバプテスマを授けられる。パウロは、「霊に満たされつづけよ」(エペソ5:18)と書いた。単数回の聖霊のバプテスマに加えて、複数回の聖霊の満たしがある。
- 天使は我々を神の子として扱い助ける。天使は私の人生に何度か介入し、それによって、神は特定の事故から守ってくださった。
- へブル1:14:「御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか」。
- 神は我々を王族とされた。
- 黙示録2:26–27:「勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である」。
- 黙示録3:21:「勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である」。我々は、もともと愚劣、虚弱、卑劣、軽薄、無力、不敬虔な罪人であり、神の敵であった。 ああ、なんと大いなる愛を神はくださったことか!
- 我々が聖霊に導かれる、それは聖霊に従うためである。
- ローマ8:14:「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」。我々は神の養子であるので、聖霊は我々を常に導かれる。そして、我々が聖霊に従うと、祝福される。
- 我々は苦しみを初めに経験し、そして栄光を敬虔するであろう!
- ルカ24:26:「キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
- ローマ 8:17:「もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである」。パウロは、患難をも喜ぶ、と言っている。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである(ローマ5:3–4)。神の子として我々は苦しむように召されているのである。
- かつて罪とサタンの奴隷であったが、今は神の子とされた。なんという祝福だ!
- ガラテヤ4:7:「したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である」。我々はかつて罪の奴隷であり、悪魔の子であった。
- 主イエスご自身が我々の長子である兄弟となられた。
- ローマ8:29:「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似。たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった」。主イエスが我らの兄弟、長子として生ける実例を示された。
- へブル2:11:「実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない」。
- 我々は、主イエスのように、父なる神に従う義務がある。
- ヨハネ8:29:「わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない」。主イエスは常に父なる神とその権威に従われた。我々もそうすべきである。権威者とは誰か?家族では両親、教会では牧師と長老、国では警察と政府の役人である。
- エペソ6:1–3:「『子たる者よ。主にあって両親に従いなさい』。これは正しいことである。『あなたの父と母とを敬え』。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、『そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう』」。これは、地上で長寿を全うすることだけでなく、天の国での永遠の命についても語っている。
- 子とされることを通して、我々は神の家族の一員になる。神には大きな家族がいる。その子供たちは世界中に広がっている。だから、彼らに福音を分かち合うために全世界に行くようにと命じられる理由である。
- エペソ2:19:「そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである」。神の家族は養子によって構成されているのだ。
- ガラテヤ6:10:「だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか」。
- 1テモテ3:14–15:「わたしは、あなたの所にすぐ行きたいと望みながら、この手紙を書いている。万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである」。真の教会とは、愛が最高位にある神の家族である。神は人の外側を見られず、心を見られる(1サムエル16:7)。神は我々を子とみなし、愛を惜しまれない。この惜しみない愛と言う言葉に心を引かれてみよ。
- 我々は天の御父に祈れる特権を持つ。
- マタイ6:9–12:「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください」。私は、神がこの数年間も、毎日ずっと衣食住を与えてくださっていることを証言できる。 - ローマ8:15–16:「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」。マーティン・ロイド=ジョーンズ博士は、これが最高の保証であると言っている。御聖霊は我々が神の子どもであると、我々の霊に対して証言している。
- マタイ6:9–12:「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
- 父なる神は我々を愛しておられる。
- 1ヨハネ3:1:「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである」。我々は神の子である。神は我々を他の何よりも愛され、私たちの祈りに耳を傾けられる。1ヨハネ4:16: 「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます」。
- 1ヨハネ4:19:「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである」。我々が悪魔の子であり、邪悪で不従順な者であったときも、主なる神は我々を愛しておられた。神に感謝すべきことに、神は我々を変えられた。
- 神の養子として、我々は家族に関心を示さなければならない(使徒言行録2、4、6章)。体のように、一部が苦しむなら、家族全体が苦しむのである。
- 1コリント12:25–26:「それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ」。これは体にも当てはまる。足のつま先が石に当たれば、全身が停止し、そのつま先をいたわるものである。それが、キリストの教会で他の信仰者と関わる態度である。
- 我々は義性的に兄弟姉妹を愛すべきである。
- ローマ5:5:「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。神は我々に聖霊を送られ、聖霊は我々の心の中で、互いを愛し、神を愛するという豊かな愛を働かされる。
- 使徒言行録4:32–37:「信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた」。初期の教会には、人々が土地を売って与えるというルールはなかった。しかし、そうするようにと神の愛が彼らに強く促したのである。
- 使徒言行録2:44–45:「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた」。
- 神の子として我々は神に近づく者となるべきである。
- エペソ5:1:「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい」。
- マタイ5:44–45:「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである」。
- マタイ5:48:「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」。
- 1ペテロ1:14–16:「従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、『わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである』と書いてあるからである」。
- 我々は神の子であるという最高の保証を享受できる。
- ローマ8:16:「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」。
- 2ペテロ1:10:「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」。
あなたは霊的に再生されたか?唯一の救い主であるイエス・キリストへの信仰によって義とされたか?もしそうなら、あなたは父なる神の子とされており、キリスト・イエスにあるすべての霊的な祝福を与えられる。
私たちは、正義に満ちた新しい天と地において、三位一体の神と天使たちとの人生・生命・生活に神の養子として生きることができる(2ペテ3:13)。ここには、この地上的な死・涙・悲しみがない。 以下を考えよ:
「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』」(黙示録21:1–4)。
御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい(黙示録22:17)。
新しい秩序が到来し、新しい天と地を楽しみにすべきである。そこでは、選ばれた天使が、キリストの血によって買い取られた人々と共に住むであろう。私たちには明るい未来がある、それは神の養子としてだ!
天の御父よ、養子として我々をどれほど愛してきておられるかを、まだまだ充分理解できていません。邪悪な罪人、神の敵だったからです。それでも、あなたは永遠から我々を愛し、イエス・キリストの形に合うようにしてくださいました。あなたは我々を確かに呼び出して義とされ、その結果、今は豊かにされています。即ち、神の相続人であり、キリストとの共同相続人です。
主なる神よ、今我々はあなたの家族に属しています。主イエスによって養子としてくださったのです。お互いの愛を高めでください。何より、この教会でも新しい養子が迎えられるように、我々の伝道を助けてください。 あなたが約束されたように、聖霊に満たしてください。「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒言行録1:8)。そして、我々全てがあなたの素晴らしい恵みを体験できますように。 主なる神よ、我々の生活の中で、絶えず悪に勝利できますように、聖霊で満たしてください。あなたの栄光と我々の永遠の幸福のために、御心を実行できるように助けてください。主イエスの名において。アーメン。
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