永遠の保証、第2

2 Peter 1:10
P. G. Mathew | Sunday, October 11, 2020
Copyright © 2020, P. G. Mathew
Language [English]

霊的新生こそ神が選びの民に最初に行われることです。逆に霊的新生していない人は、実は、霊的な死の状態と今後起こる肉体の死の、2重の死の状態にある。この2重の死から生き返る霊的新生は、聖霊の一方的な働きによるもので、人は自らの力で決して新生することはない。次のことがらを考えてみたい。

エペソ 1:4:「神が私たちを御前にきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあって選ばれた」。どうして選ばれたのかという理由はわからないが、神は世界を創造する前に神の民を選ばれたのです。

2コリント5:17:「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。このパウロの主張において、新しく造られた者とは、神が私たちの心、すなわち思考や意思を、神に向かわせる新しい心と呼んでいる。それは神の御心を行おうとする心であって、そのためには喜んで苦難に立ち向かうほどのものです。また、感情も新しくされる意味もある。したがって、神の国は、義と平和と聖霊による喜びです。

エゼキエル 36:26–27: 主が言われる、「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる」。神が与えられる新しい心には、神のおきてと律法を守る力がそなわっている。だから霊的に再生された人々を見分けるのは簡単です。それは神のことばに従うかどうかを見ればわかる。神の言葉に従うということは、神の定められた権威にも従うことを含む。即ち、親、牧師、警察、教師、上司、その他の権威に従うのです。それは、視点を変えて言うならば、霊的に再生された人々が神の意志を行うように聖霊が働かれるということです。

2ペテロ1:10:「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい」。このペテロの勧めを私たちが行うには、神に従い続けることです。ペテロは続けて言っている、「そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」と。岩のような不動のキリストに信頼し続けることです。

ローマ8:29–30:「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである」。神は永遠の昔から私たちを神の民として選び、有効に召命し、霊的に再生し、悔い改めて神を信じるように促される。そして、私たちを義とされ、永遠の未来には栄化される。

ですから私は皆ここにいる皆に言う、「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」(ヘブル12:14)。

1ヨハネ3:3:「私たちは彼が現れるとき[イエスの再臨のとき]、彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからです。 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼が聖いように、自らをきよくする」。これは栄化と呼ばれている。

神の選びの人々は再生されるので、神を愛し、従い続ける。あなたが神に従っているならば、神の民ということを証明している。ここで、ペテロはあなたの召しと選びを確かなものにせよと言っている。問題は、どのようにしてこれを行うかという点です。答えは、神の言葉に対するあなたの態度に他ならない。即ち、即座に、その通りに、喜んで神の言葉に従うかどうかです。これこそ聖霊の働きによる。

以前、1ヨハネ2:29、3:9、4:7から霊的再生について述べたが、今回引用の1ヨハネ5:1、5:4、5:18では、霊的再生とは、そもそも最初に起こらねばならいということを指摘しよう。なぜなら、霊的再生がなければ私たちは悔い改めることもイエスに従うこともできないからです。ヨハネ3:16にはこうある、「神はこの世を愛して、独り子をお与えになりました。それは、彼を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためです」。ここに、私たちが永遠に救われる、と言われており、それは永遠の保証です。

1.神への服従が信仰を証明する(1ヨハネ5:10)

「イエスがキリストであると信じる者は皆、神によって生まれた者である。また、父なる神を愛する者は子なるキリストをも愛する」。マシュー牧師訳

キリストに信頼しているかどうか、それは、主イエス・キリストに従っているかどうかでわかる。罪を犯すのとは逆です。神の選びの民は永遠の過去より神が選び、ある時点で霊的に再生され、主イエスを信じて、イエスがキリストだということを告白するに至る。異邦人ツロ・フェニキアの女性は、霊的に再生されていたので、「主、ダビデの子よ、私にあわれみをかけてください!」と叫んだのです。すると、イエスは彼女をほめ、彼女の信仰が大きい、と言われた(マタイ15:21–28)。他の福音書では、取税人が、「罪人の私をあわれんでください!」と叫んだことが記録されている。この取税人も霊的に再生されていた。すなわち永遠の救いを与えられていたのです(ルカ18:13–14)。このような人々の特徴として、神と神の子たちを愛する。

1ヨハネのわずか4ページの簡潔な書簡に、ヨハネは「愛」という言葉を動詞と名詞を合わせて44回使用している。繰り返し、神を愛し、互いを愛するように、と勧めている。私たちの教会でもこれを心がけている。例えば、主の兄弟が食べ物や衣服、住む場所に困っていたら、私たちは助け合う。「全心、全霊、全力で主を愛し、自分を愛するように」と主イエスは命じられた。だから、私たちはこれを行う。

  • ヨハネ3:3、5で主イエスはこう言われた、「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません。水と霊によって生まれなければ人は神の国に入ることはできません」。水とは神の言葉を意味している。主イエスはヨハネ15:3で、「わたしがあなたがたに語った言葉によってきよめられている」、と言っておられる。そして、エペソ5:26で、パウロは夫婦に対して、夫が妻を神の言葉で清めるべきことを教えている。そもそも神の言葉を知らない、又は知っていても実行しないなら、夫は妻や子供に奉仕することはできないのです。

霊的に再生された人は神の言葉を知っているが故に、罪を悔い改めて、神の言葉を信じ、神に従うようになる。この点で、霊的に再生された人はそうでない人と決定的に異なるのです。

霊的に再生された者の信じる心には実質が伴う。それはなにか?それは、イエスが主でありキリストだということを知っている、ということです。これこそ、ツロ・フェニキアの女性が、「主よ、ダビデの子よ、私にあわれみをかけてください!」という言葉に集約されている。言い換えると、彼女は神学的にも主イエスを正しく理解していたのです。

正しい神学、それは、人が聖霊によって洗われるべきことを教える(ルカ3:21–22)。イエスはキリストです。イザヤ42:1は、「私は私の霊を彼の上に置きます」とあるように、主イエスは聖霊によって油注がれた方でおられ、私たちも聖霊によって油注がれるべきことを教えている。人間自らの力で神の言葉を行うことは無理ですが、私たちに宿る聖霊の力によって、神に従うことができる。ローマ8:11–14は、聖霊が私たちを導き、「これをするな、これを行え。罪を殺し、神に従え」と命じられる。あなたがキリスト者であれば、聖霊があなたに宿っておられる。聖霊に導かれている者はみな神の子供なのです。

主イエスはイザヤ53の予言を完成された。主イエスは清い神のキリスト、油注がれた者で、十字架で私たちの罪のために贖罪した上に、自らの義を私たちに与えられる。すなわちこれは二重の取引です。しかも、聖霊によってすべてを行われたのです。へブル9:14は、「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか」と言っている。

イエスは罪を犯されなかった。いつも父に従い、聖霊を通して悪魔に対抗された。のみならず、私たちのために、死と復活を通して、悪魔を撃退された。従って、私たちが神に服従し、悪魔に抵抗すると、悪魔は私たちから逃げ去る、と聖書は教えている。

  • 1ヨハネ3:8:「罪を犯す者は、悪魔のものです。悪魔は初めから罪を犯しています。神の子が現れたのは、悪魔の働きを滅ぼすためです」。
  • ヘブル2:14–15:「子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである」。主イエスはあらゆる恐れから私たちを解放する。私たちが恐れるべきは、神のみです。死や悪魔ではない。
  • ヨハネ16:33:イエスはこう言われた、「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。キリストに信頼すること、それが悪しき世界に対する我々の勝利です。ぺテロは十字架につけられる前に2ペテロ1:10で私たちに教えている。我々が神の選びの民として、イエス・キリストを主として告白することです。

被造物は、私たちを主イエス・キリストにある神の愛から引き裂く力を持たない(ローマ8:39)。私とあなたには神の永遠の平安が与えられており、神を愛し、聖霊によって従うという命令を与えられている。その命令は重荷とはならない。悪魔の鉄のくびきは人を永遠に滅ぼすものです。しかし、主イエスが与えるものは何と違ったものであろうか?それを考えてみるべきである。

  • マタイ11:28-30:「苦労している人々はみな、わたしのもとに来なさい」。罪は私たちを狼狽させ、重荷で押しつぶす。罪は決して安息をもたらさない。主イエスは、「わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたに安息を与える」、と言われた。ここで、主イエスはすべての罪人を招待しておられるのです。「わたしのくびきを負って、わたしに学びなさい。私は柔和で謙虚である。あなたがたの魂に安息を与える。私のくびきは負いやすく、その荷は軽い」と言っておられる。キリストの教えからくびきというものを取り除くことは意味がない。むしろ、キリストのくびきだけが、永遠の救いの休息を私たちに与える。

2.再生された人は信仰によって世に勝つ(1ヨハネ5:4)

1ヨハネ5:4は、「神によって生まれた者は皆、世に勝つ」と教えている。信頼するイエス・キリストが、私たちの勝利そのものです。「どうすれば救われるのですか?」これは、聖書に記録されている何人もの人々から質問されている。常にその答えは、主イエス・キリストを信じなさい、そうすれば救われます、です。ヤコブは書いている、「それゆえ、神に服従しなさい。そして、悪魔を抵抗しなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るでしょう」(ヤコブ4:7)。

神は私たちを永遠の昔に選び、時が来て霊的に再生された。悪魔に支配されているこの世(1ヨハネ5:19)から逃れる方法は唯一であり、主イエス・キリストに信頼することです。主イエスは、自らの従順な生き方と死と復活によって悪魔を敗退させられた。

それによって、我々は世に勝つのです。

私たちは神に従うことで罪を殺し、悪魔はイエスの名によって私たちから逃げ去る。だから、こう言うことができる、「私は主イエスを信頼している。だから、悪魔よ、直ちに逃げ去れ!私は日々罪を殺し、主イエス・キリストに従おう」と。主イエスが天から送られた聖霊を通して行われたように、今神に従い、悪魔に抵抗せよ。マタイ4章には、主イエスが悪魔に抵抗されたことが次のように記録されている:

「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい』。イエスは答えて言われた、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある。それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、『もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう、と書いてありますから』。イエスは彼に言われた、『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある。次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、『もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう』。するとイエスは彼に言われた、『サタンよ、退け。主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ、と書いてある』。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた」(ヨハネ4:1-11)。

主イエスは常に父なる神に従い、悪魔に反抗された。主イエスは私たちの模範であられ、私たちも主イエスの名において罪を滅ぼし、神に従うことができる。神が聖霊によって私たちと共におられるなら、私たちを勝利に導いてくださる。

神自身が私たちと共におられる故、神の命令は容易であり、殉教さえも容易にする。

  • マタイ28:20: 主イエスは言われた、「見よ。私は世の終わりまであなた方と共にいる」。
  • エレミヤ30:11: 主は言われた、「わたしはあなたと共にいて、あなたを救う」。

私たち自らの力ではなにもできない。しかし、神は私たちと共におられ、聖霊によって私たちの中に住まれ、力を与えてくださる。「聖霊があなたがたに臨むとき、あなたがたは力を受けるであろう」(使徒行伝 1:8)。聖霊は、悪魔に「ノー」、イエス・キリストに「イエス」と言い、私たちに力を与えてくださる。それで主イエスは、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われたのです。主イエスは私たちを助けるために私たちと共におられるのです。(PGM)主イエスはまた、「二人または三人がわたしの名によって集まるなら、わたしもその中にいるのである」(マタイ 18:20)とも言われた。私たちは目で神を見ることはないが、信仰によって神を見るとき、恐れおののきながら神の救いを成し遂げる。神は永遠で無限です。永遠と無限が何かはわからないが、それが大きいことはわかる。そして、信仰によって永遠・無限の神を見るならば、恐れ震えるであろう。

聖霊は私たちの中に宿り、私たちを導き、力を与え、清い生活、従順な生活を送るように促す。パウロは次のように言っている、

  • ローマ8:11-14「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」。

神は永遠の昔から神の子を愛され、その者に栄光を与えられる。ローマ人8:29-30kara

次の10の点について考えよ。

  1. 私たちは永遠にあらかじめ愛された。
  2. 私たちは永遠に予定された。
  3. 私たちは時の中で効果的に召された。
  4. 私たちは時の中で再生された。
  5. 私たちは時の中で悔い改めた。
  6. 私たちは時の中で信じた。
  7. 私たちは時の中で義とされた。
  8. 私たちは時の中で神の養子とされた。
  9. 私たちは時の中で聖化された。
  10. 私たちは未来の永遠の世界で栄光を受ける。

イエスは私たちのためにこの世に打ち勝たれた。そして、キリストを信じるすべて霊的に再生した者は、イエス・キリストにおいてこの世に打ち勝つ。神から生まれた者は、悪魔とこの世に対する勝利を享受する。

3.私たちはキリストの中で永遠に安全(1ヨハネ5:18)

1ヨハネ5:18は次のように言っている、「すべて神から生れた者は罪を犯さない(罪を犯し続けない)ことを、わたしたちは知っている。神によって生れた方、即ち主イエスが彼を守っていて下さるので、悪しき者が手を触れるようなことはない」。すなわち、危害を加えることはできない。彼は神の子供であり、霊的に再生されており、永遠に救われており、イエス・キリストの子ということは疑う余地もない。

真に神から生まれた者は罪を犯し続けることはない。罪を犯しても、悔い改め、神への従順によってその悔い改めを証明する。ここで、「イエスは神から生まれた者である」とヨハネは言っていることに着目せよ。ジョン・マレー師は「聖霊によって、マリアがイエスを身ごもり、主イエスは受肉された」と教えておられる。[1] だから、悪魔は私たちを傷つけることはできない理由がここにある。主の祈りの中で私たちはこう祈っている、「私たちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」と。

  • ヨハネ10:10: 主イエスは言われた、「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」。イエスは死んだ者に命を与えるために来られた。私たちは罪と過ちの中で死んでいた。神に対して死んでいた。そこにイエスは来られ、完全な命を与えてくださった。この命が与えられているゆえに、私たちは神を愛し、神に従うのです。
  • ヨハネ10:28-29: 主イエスは言われた、「わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない」。神ご自身が私たちを守ってくださる。父と子と聖霊が、私たちの人生のあらゆる瞬間で守ってくださる。このように永遠の安全を享受しています。
  • ヨハネ17:11–12, 15: 主イエスは次のように祈られた、「わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります」。「守る」という言葉が何回使われているかに注目せよ。父なる神、子なる神、聖霊なる神が私たちを守られます。誰も私たちをキリストの手から、父なる神の手から奪い去ることはできない。

主イエスはどうか?主イエスは常に父なる神に従われ、決して背かれなかった。それでこう書かれています。

  • へブル5:8–9: 「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となられた」。もしあなたが従順でないなら、あなたは霊的に再生されておらず、神に選ばれておらず、それはあなたが悪魔の子だということを示している。
  • 1ヨハネ2:13–14:「父たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、悪しき者にうち勝ったからである。子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからである。父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである」。若者たちは、罪を犯さずに悪魔に打ち勝つことができます。聖霊によって悪魔に打ち勝つことができます。

神から生まれた人は永遠に安全です。良い羊飼いが私たちを安全に守ってくださる。父と子と聖霊が私たちを守ってくださる。ゆえに、ヨハネ3:16は、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と言っているのです。私たちは永遠に安全で、決して倒されることはありません。神に選ばれた者たちは栄光を受けます。

  • 1ヨハネ5:19:「わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている」。
  • 2ペテロ1:10:「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」。
  • マタイ7:13–14: 「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」。

多くの人々は滅び、地獄に行きます。永遠の命、天国に行くのはほんの一握りの人だけです。神が私たちをその少数とされ、永遠の救い永遠の平安に入れるよう助けてくださるようにと祈ります。

[1] John Murray, Collected Works, vol. 2, Systematic Theology (Edinburgh: Banner of Truth, 1977), 134.