神に感謝をすること、それは従うこと

Hebrews 5:8-9
P. G. Mathew | Sunday, November 28, 2021
Copyright © 2021, P. G. Mathew
Language [English]

天の御父よ、私たちはアダムによって悪魔の子でした。悪魔が主人だったのです。アダムとイブは、すべての嘘の父である悪魔に従いました。悪魔は、殺人者でもあります。そんな中から、主よ、あなたが、永遠に神の子供として選んだ数少ない人々がいます。私たちを救ってくださりありがとうございます。私たちはあなたをたたえます。私たちが御霊に満たされ、神の言葉に注意するように助けてください。主イエスの名によって。 アーメン。

感謝することの意味は何か?それは生涯を通しての神とキリストへの従順である。しかし、ほとんどの人々が何に従っているか、その秘密がある。ほとんどの人は悪魔に従う。ヨハネ8:44は言っている、l「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ」。誰もが神か悪魔かのどちらかに従う。そして、神に従う人はほとんどいない。

2ペテロ1:10はおしえている、「あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい」。私はそれを確かなものにした。主イエスに対して、その通りに、即座に喜んで従うこと、それば重要である。例えば、子であれば、あなたは両親に従っているか?それは、自分自身に尋ねなければならない質問である。両親、牧師、そして警官に従うことも神の意志である。しかし、実例として、サンフランシスコの法律では、950ドルまでの窃盗であれば、凶悪犯罪ではないと判断される。それは、警官を弁護するための線ひきとなっており、このために無法がはびこっている。

へブル5:8–9は言っている、「彼イエス・キリストは永遠の御子(マシュー牧師の訳)であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、 そして、まったき者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となられた。つまり、人間として、十字架をしのび、復活により、私たちの罪を完全に贖われたのである。彼は決して罪を犯さなかった。なぜならば、神の人であるからだ。「彼に従うすべての人のための永遠の救いの源になられた」のである。問題は、あなたは聖霊を通して神と主イエス・キリストに従うか?ということである。

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ローマ6:23)。彼は私たちの贖いを成し遂げた。私たちは罪を犯した。主イエス・キリストは死んでその代価を払われた。もとより、彼は死ぬ必要はなかった。しかし、彼はこのために死んだのである。

ヨハネ14:15で主イエスは言っておられる、「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」。これは、「提案」や「お願い」ではない。「命令」である。聖書は常に命令する。復活の3日後、主イエスは3回否定したペテロに、「あなたは他の弟子たちよりも私を愛しますか」と尋ねられた。ペテロは「はい」と答えた。主イエスはペテロに対する計画を明らかにされた:「あなたは十字架につけられる」。ペテロはたしかに十字架につけられた。ペテロは、「あなたの召しと選びを確実にしなさい」と言っている。言い換えれば、神の子供であることを確認せよ、ということである。

もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。そう主は言われる。全ての民は主に従うべきである。ただ、協調すべきであるが、わずかな者しか神に従わない。大部分の民は、悪魔に従うのである。

ヨハネ14:21で、主イエスは言われる、「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。」。神の言葉に従うかどうか? それが問題である。あなたは、主イエス・キリストへの信仰のために死んでも従うか? そこが問題である。人は、金儲けには興味をもち、やがてお金がたまると、色々と罪を犯す方法を見つけるようになるものである。お金持ちの人を見てみよ。彼らは罪を犯す新しい方法を見つけている。主イエスは言っておられる、「わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。これこそ最高の幸福なのである。私はそれを経験している。言葉では言い表せない、栄光に満ちた喜びである。

ヨハネ14:23–24で、主イエスは答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう」。神のことばすべてを守るということ。聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である、と書いてある(2テモテ3:16)。主なる神が私に語られたこと、これをある若者にそのまま語ったが、その若者は従わなかった。主イエスは言われた、「わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」。三位一体の主なる神が来て、私たちの内に住まわれ、言葉では言い表せない、栄光に満ちた喜びを与えて下さる。だから、10億ドル持っていても、主イエスを愛さない者は、主の教えに従わない。彼らは、主なる神の民ではないのである。これとは反対に、主に従う者は、神に属する者である。

ローマ1:1は、「キリスト・イエスの奴隷となったパウロ」というフレーズで始まっている。ピリピ2:7は、我々は悪魔の奴隷から神の奴隷となった、と言っている。神の所有となった私たちには、神の御心に即座に、正確に、喜んで従うことしかないのである。

ヨハネ14:31で、主イエスは言われる、「わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである」。神の言葉に加えたり、そこから差し引いたりしてはならない。私たちは神の御心を聞き、それを行うのである。

ヨハネ15:10で、主イエスは言っておられる、「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」。これが本当の保証というものである。地位、権力、金銭には平安や保証はない。いずれ、これらはあなたを落胆に導く。「私が父の命令に従い、その愛にとどまっているように」と、主イエスは私たちに手本を示された。主イエスが御父に従われたように、私たちも主イエスに従うべきである。これこそ、「イエスは主である」と告白することである。私たちは主イエスに従う、奴隷、即ち神の子孫である。

主イエスの死を通して、私たちはすぐに、正確に、そして喜んで神に従えるのである。私たちは罪を犯していた。主イエスは世界で最も貧しい人となられ、十字架で死なれた(ルカ9:58)。主イエスが、私たちの罪のために苦しまれ、成し遂げられたのである。

詩編103:18 に「主のいつくしみは、その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ」とある。契約の神学が最も正しい神学である。それに基づく教会は愚かな教会ではない。(PGM) 我々の教会は、そのような教会であり、常に聖書を学ぶ意欲にあふれている。契約神学とは何か? 神は言われる、「私はあなたの神となり、私があなたを助け、あなたは私に従う私の民になる」これが契約である。私たちは、神と契約を結んだ。「私は主に従う。主は私を救われる」。

1ヨハネ2:3–5 には、次のように書かれている、「もし、わたしたちが主の戒めを守るならば、それによって主を知っていることを悟るのである」。 主を知っていると言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない」。そのような人々は悪魔の子供である。ヨハネは続けて言う、「しかし、彼の御言(聖書)を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである」。人の魂の中にある神の命、それはその人生を見ることではっきりわかる。これこそ、あなた自ら確認しなければならない唯一のこととは、あなたが神から生まれたこと、あなたが新しい被造物である、ということである。それにお金は全く関係ない。

ヨハネは言う、「しかし、彼の御言(聖書)を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである」 従順は再生した者の結実である。結実の実は多く実るのである(ヨハネ15)。

1ヨハネ3:22にある、「そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、御心にかなうことを、行っているからである」。神は、私たちが求めたり想像したりしたすべてのものを超えて、豊かに私に与えてくださった。だから、我々の教会ではお金を求めない。お金を求めたことがあるだろうか? 1ヨハネ3:24は言っている、「神の戒めを守る人は、神におり、神もまたその人にいます。そして、神がわたしたちのうちにいますことは、神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである」。エゼキエル書36章も参照せよ。神は私たちに新しい心、新しい霊を与え、その上に聖霊を置き、神の命令と戒めに従うように力を与えられる。私たちには、無限で永遠の聖霊が宿られるのである。

1ヨハネ5:3は言っている、「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」。主イエスは約束して言われた、「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)。

ここで気づくべきことは、3節でヨハネが言っている「その戒めはむずかしいものではない」ということである。主イエスはペテロに「あなたは十字架につけられる」と言われました。ぺテロと共におられペテロを助けられたのである。

ローマ6:16でパウロは書いている、「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである」。主人は2人しかない。悪魔か永遠の神かである。

だから、ローマ1:1でパウロが、ギリシャ語でキリストの奴隷という言葉を用いている。牧師とはキリストの奴隷ということである。本当の人間とはキリストの奴隷である。「キリスト・イエスの奴隷、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから」。5節で、「わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのである」と言っている。

神は命じておられる、「両親に従いなさい。 牧師に従いなさい」。これらの人々には究極の権威はなく、権威はキリストの権威からくる。この権威によって、彼らはあなたに命じるのである。警察は、堕落した世界における神の代理人といえるのである。

イエスを信じる者はイエスに従う。主イエスは御父から裁きと救いのすべての権威を受けておられる。ローマ10:9 には、次のように書かれている。「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」。復活は、主イエスが罪を犯したことがないという証拠である。唯一人だけが死からよみがえった。それがイエス・キリストである。主イエスにあって、私たちは死からよみがえる。 「イエス・キリストは主です」と告白するなら、死からよみがえるのである。

主イエスは私の主人であり、お金では主人ではない。主は死からよみがえられ、私たちの救いのために十字架で犠牲として死なれた。

使徒5:31–32は言っている、「イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである」。私たちはこれらのことの証人であり、神に従う人々に与えられた聖霊も証人である。この救いの全体は、主イエス・キリストがもたらされる。あなたがしなければならないことは、主イエス・キリストを信じて救われることである。

神の言葉に従って神に従うなら、あなたは永遠に救われる。「すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」(ローマ8:14)。私はただ話すだけではなく、説教するのである。神が次のように言われたことは、主イエスは、「ご自分の民をそのもろもろの罪から救う者となられる」とうことである(マタイ1:21)。神に感謝します。神は私たちの罪を赦しされた。救いは全て主イエス・キリストから来る。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒4:12)。

ピリピ2:8–13は言っている、

おのれを空しくして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。

神は私たちを救われる。これを理解することはできない。神は私たちを選ばれる。これも理解できない。永遠の救いに選ばれる人はほとんどいない。理解ししがたいが、それを喜ぶべきである。神の江家の選びを喜ぶべきである。それはなぜなのか、理解はできない。それは、素晴らしい恩寵としか言いようがない。なんと素晴らしいことか!

もしあなたが救われたら、大いに喜びなさい。 もしあなたが救われていないなら、神にあなたを救ってくれるように頼めば、神はあなたを救ってくださいます. そして、悔い改めと主であるイエスへの従順によって、あなたが神から生まれたことを証明してください。

いずれ何が起こるかをお話ししよう。神は主イエス・キリストの再臨として来られ、私たち信じる者は彼の右側に置かれ、すべて信じない者は左側に置かれ、左側の者は永遠の滅びに送られる。その前に、彼らはひざまずいて「主イエス」と告白しなければならず、その後、彼らは地獄に送られるのである。その運命や、あなたの母も父も、例外して特別扱いとはされない。神はそれぞれに命を与えられた。重要なことは一つだけであり、それは主イエス・キリストを信じることである。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。

神に感謝します、あなたは主イエスを信頼している。そして、主イエスは本当の災いからあなたを守られる。ハレルヤ!

 

天の父よ、私たちを救いに選んでくださり、ありがとうございます。あなたに忠実に従えるように助けてください。従えなかった場合は、それを悔い改め、再び主イエス従うことができることも感謝します。そのような愛と誠実を心から感謝いたします。主イエスの名において。 アーメン。