神の導き
Romans 8:11-24P. G. Mathew | Sunday, April 18, 2021
Copyright © 2021, P. G. Mathew
Language [English]
ローマ8:11-14は、神の導き、神の聖霊と神の言葉によって導かれることについて語っています、「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である」。
永遠で無限の聖霊が私たちの中に宿っているという偉大な真理をこの聖書の個所は私たちに教えています。パウロは別の箇所でこう勧めています、「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ2:12–13)。これこそ偉大な真実です。「聖霊はあなたの内に宿る」と二度述べられています。あなたは恐れおののくか、それとも聖霊よりも優位に立とうとするか。聖霊はあなたの内に宿られ、その力によって罪を滅ぼすことができるのです。使徒1:8はこう書いてあります、「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。聖霊は私たちに罪を滅ぼし、神に従う力を与えてくださいます。
聖霊と神の言葉に従いたくないなら、神の導きを求めるのは危険なことです。エペソ5:18はこう言っています、」「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされなさい」。「聖霊に満たされる」とは、「聖霊に支配される」ことを意味します。私たちは感情や欲望ではなく、神の言葉が言っている聖霊に支配されるべきです。コロサイ3:16でパウロはこう始めています、「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい」。ここで「宿られる」とは「支配される」という意味です。私たちは神の言葉によって支配されるべきです。パウロはこう続けます、「知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい」。
聖書全体がイエス・キリストについて語っています。創世記3:15で神はこう言っておられます、「わたしはおまえと女とのあいだに、恨みをおく、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。これはプロトエウアンゲリオン、最初の福音書と呼ばれています。「彼はあなたたちを打ち砕くであろう」、これについて多くの人は、自分たちが上にいて神が下にいる、神は自分たちの奴隷で自分たちがボスであるという見方をしています。しかし、それは間違っています。
創世記から黙示録まで、聖書全体がイエス・キリストについて語っています。旧約聖書は彼の到来を約束し、新約聖書は彼の到来について語っています。ルカ4:16-21には、イエスがいつものように安息日にナザレの会堂に行ったことが書かれています。イエスは聖書を開いて、イザヤ61:1-2を読まれました、「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音をのべ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰められる」。それからイエスは巻物を返して「この聖書の言葉は、きょう、あなたがたが聞いたとおりに実現しました」と言われました。イザヤはイエスが聖霊に満たされた方であると語っています。ルカ3章では、イエスが聖霊のバプテスマを受けられたことが分かります。
神は神の民を導かれる
神の民を導かれる神は、その信仰者一人一人のために良い計画を持っておられ、その計画を私たちに伝えてくださいます。次の例を考えてみましょう。
- 執事のピリポは聖霊に導かれました。使徒行伝第8:26-29にはこう書かれています。 「しかし、主の使がピリポにむかって言った、『立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい』。聖霊はピリポに言われた、『進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい』」。神はフィリポを導かれ、フィリポはエチオピアの宦官をキリストに導きました。
- ペテロは聖霊に導かれました。使徒10:19-22にはこう書かれています、「ペテロはなおも幻について、思いめぐらしていると、御霊が言った、『ごらんなさい、三人の人たちが、あなたを尋ねてきている。 さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである』。そこでペテロは、その人たちのところに降りて行って言った、『わたしがお尋ねのペテロです。どんなご用でおいでになったのですか』。彼らは答えた、『正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、聖なる御使から受けましたので、参りました』」。ペテロはコルネリオの家の人たちのもとに行って福音をのべ伝え、多くの人が救われました。
- パウロとバルナバは導かれました。使徒13:2にはこう書かれています、「一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が『さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい』と告げた」。
- パウロとシラスは聖霊に導かれました。使徒行伝16:6-10にはこう書かれています、「それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。 そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、『マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい』と、彼に懇願するのであった。 パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした」。
- パウロはコリントで聖霊に導かれました。使徒18:9–11にはこう書かれています、「すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、『恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大勢いる』」。
聖書全体を通して、神はその民を導かれる、と約束しています。詩篇作者はこう言っています、「わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう」(詩篇32:8)。予言者イザヤはこう言っています、「主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる」(イザヤ58:11)。そして、ローマ12:2でパウロはこう書いています、「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである」。また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っていいます(1ヨハネ5:19)。パウロは、「この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられなさい」と言っています。霊的に再生された人々は新しい心、新しい意志、新しい愛情を持ち、神に導かれ、神を喜ばせるために生きることができます。
神の導きの手段
聖書を通して神は私たちを導いてくださいます。
- 2テモテ3:16: 「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」 私たちは正義を教えなければなりません。私たちは叱責し、矯正し、教えなければなりません。矯正してくれる人はあなたを愛している人です。牧師は部下を叱責し、矯正します。親は子供を叱責し、矯正し、正義を教えます。
- 1コリント7:39: 「妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。」言い換えれば、彼は真の信者でなければなりません。真の信者のように見える人ではなく、最後まで忍耐する人です。彼はTULIPクリスチャンでなければなりません。
- 1 コリント10:31: 「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」ウェストミンスター小教理問答によれば、人間の最大の目的は何でしょうか? それは神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。
祈りを通して、神は私たちを導いてくださいます。
- マタイ7:11: イエスは言われました、「このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」私たちは祈りの中で神に求めます。私たちはいつも祈っています。
聖霊を通して神は導かれます。
- 1ヨハネ2:20, 27: 「しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。」聖書を読むと、神は私たちに真理を教えてくださいます。27節は、「あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない」と言っています。 この油注ぎは聖霊の油注ぎです。ローマ8:11-14にも書かれているように、無限で永遠の聖霊は私たちの中に住み、あらゆる面で私たちを導いてくださいます。
- エペソ4:30:「神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。」 わたしたちが罪を犯すと、聖霊は悲しまれるので、わたしたちは悔い改めなければなりません。わたしたちは罪を犯しますが、悔い改めることもします。聖霊がわたしたちに罪を悟らせ悔い改めるのを助けてくださいます。
神は善き羊飼いであるイエスを通して私たちを導いてくださいます。
- 詩篇23:3: 「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」 私たちの善き羊飼いは正義の方であり、あなたを正義の道に導いてくださいます。
- ヨハネ10:14: イエスは言われました、「わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている」。
- マタイ16:24: 「それからイエスは弟子たちに言われた、『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい』。」私たちは自己否定し、自分の十字架を背負って、イエス・キリストに従うべきです。
神は親を通して私たちを導いてくださいます。
- 出エジプト20:12: 「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」
- 箴言22:6: 「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。」それが私の父の方法でした。父は牧師でした。父は私たちを訓練してくれました。あなたの父があなたを呼ぶとき、あなたは畏敬をもって、父のもとに行きなさい。その時父はあなたのほうを向いて、何をすべきか教えてくれるでしょう。
- 2テモテ3:15: 「また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。」
- エペソ6:1–3: 「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。」 私はいつも両親に従いました。父にも母にも決して「ノー」とは言いませんでした。
- マタイ28:18–20: 「イエスは彼らに近づいてきて言われた、『わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、20あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ』」。私たちの仕事はあなた方に神の言葉を教えることであり、あなた方の仕事はそれに従って祝福を受けることです。
敬虔で学識のある牧師を通して、神は私たちを導いてくださいます。
- へブル5:8–9: 「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、 そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となられた。」
- へブル13:17: 「あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。」
- 使徒20:28: 「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を導くために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。」 牧師は聖霊によって任命された、昇天されたキリストからの賜物です(エペソ4:11参照)。
- 1 コリント11:3: 「しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。」 夫もまた、神が私たちを導くために権威を委任されています。神は夫に、家庭における霊的指導者としての責任と、キリストが教会を愛し、教会のために命を捧げたように妻を愛する責任を課しています。私たちはそのような愛を「タイタニックの愛」という言葉で表現します。
- 1テサロニケ5:12–13: 「兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。」
神の導きは、悪魔が私たちを誘惑する非合理的、非道徳的な主観的感情の衝動に基づくようなものではありません。(PGM) イエスは空腹のとき、石でパンを作って食べるように悪魔に誘惑されました。イエスは悪魔を拒み、御言葉に従いました。
- マタイ4:4: イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
- ヤコブ4:7: 「神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。」 イエスは神に従い、悪魔に抵抗しました。アダムとイブは悪魔に従い、神に抵抗しました。あなたが従う人があなたの主人です。私たちが神に従い、両親に従い、牧師に従い、警察に従うのを神が助けてくださいますように。主人は二人います。一人は主イエス、もう一人は悪魔です。
神の導きを妨げるもの
J.I.パッカー師は著書『神を知る』の中で、神の導きを妨げるいくつかの障害を挙げており、その中には次のようなものも含まれます。:[1]
- 聖書的に考えようとしない
- 申命記32:29: 「もし、彼らに知恵があれば、これをさとり、その身の終りをわきまえたであろうに」”
- 先のことを考えようとしないこと。幼いころから、先のことを考えて、家族を養うために仕事を得るために一生懸命勉強しなければなりません。パウロはテモテ5:8でこのことについて語っています。
- 1テモテ5:8: 「もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上にわるい。」
- 忠告を受け入れないこと。神は、両親、牧師、敬虔な教師、その他の人々を任命して、神の道について私たちに助言や忠告を与えてくださっています。私たちが彼らを尊重し、正しく対応すれば、祝福されます。
- 自分の感情や人生の方向感覚が間違っているかもしれないことを認めようとしない。
- 自分の魅力(自己尊重)にこだわる。
- 1テサロニケ5:21: 「すべてのものを識別して、良いものを守りなさい。」
- 金銭が減ることを拒否する。
- マタイ6:24: 「イエスは言われた、『だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない』」。
- 神の時を待つことを拒否する。
- 創世記16:1–4: 「アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりの仕え女があった。エジプトの女で名をハガルといった。サライはアブラムに言った、『主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしの仕え女の所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう』。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。アブラムの妻サライはその仕え女エジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。」
- 創世記17:17–18: 「アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、『百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか』。そしてアブラハムは神に言った、『どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように』」。イシュマエルはサライの計画の結果であり、イサクは神の計画の結果でした。
今日における神の導きの例
神は数十年前に、将来における奉仕について私を導いてくださいました。神は申命記 28:13-14を示してくださり、この言葉は私の人生で成就しました。
- 申命記28:13–14: 「主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせられないであろう。あなたはただ栄えて衰えることはないであろう。きょう、わたしが命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、これを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。きょう、わたしが命じるこのすべての言葉を離れて右または左に曲り、他の神々に従い、それに仕えてはならない。」
神は、カリフォルニア州デイビスのガーフィールド・C・ホスキング牧師に次のような幻を与えらえました。それは、海外から牧師がやって来て、ホスキング牧師がデイビスに建てた教会で説教するというものでした。彼はその幻が実現する前に亡くなりましたが、教会の設立から数年後に、牧師夫人から手紙でそのことを知りました。
ウェストミンスター神学校の創設者であり、プリンストン大学で世界的に有名な新約聖書学者であった R.J.グレシャム・メイチェン師は、1937 年に肺炎で亡くなる前に天国のビジョンを与えられていました。彼は牧師の友人に「天国のビジョンは輝かしい。本当に輝かしい」と語りました。彼は死ぬ前に大いに励まされていたのです。これは使徒7章のステファノとまったく同じです。
神はまた、私たちがジャン・カルヴァン、マーティン・ロイド・ジョーンズ師、ジョン・マレー師、コーネリアス・ヴァン・ティル師、チャールズ・H・スポルジョン師などの敬虔な著者の本を読むときにも私たちを導いてくださいます。そして何よりも、聖書全体を読んでください。私たちの教会では、聖書を体系的に読んでいます。それは長年にわたって私たちにとって祝福となってきました。
神は、聖霊を通して、そして神の言葉によって、神の選びの民を導いてくださいます。聖書全体が私たちを導いてくれますが、次の聖句を具体的に考えてみましょう。
- 詩篇119
- ローマ8:11–14
- 詩篇1:1–2: 「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。」
人々を楽しませる教会ではなく、御言葉を説く教会に行きなさい。キリストが建てた教会もあれば、悪魔の会堂もあります。
キリストは教会を建てられます。使徒20:29, 32でパウロはこう言っています、「今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」。
また、サタンの会堂と呼ばれる教会もあり、そこでは神の言葉は説かれていません。だからどの教会に行くかは重要です。
導かれる先には苦しみもあるでしょうか?
最後に、神の導きに従うからといって、苦しみがなくなるわけではないことを私たちは知っておく必要があります。神の意志は、苦しみを通して私たちの中に神聖さを生み出されるのです。次のことを考えてみましょう:
- ローマ5:3–5: 「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」
- 2コリント6:10: 「私たちは悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。」
- 1コリント4:13: 「ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。」地上のゴミ、いわゆる世界のゴミという意味で使われています。
- ローマ8:18: 「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」
神が、私たちが聖霊と聖書に導かれ、神に従う人生を送れるよう助けてくださいますように。神の導きに従って、すべてのことをうまく行えるよう助けてくださいますように。「人間の最大の目的は、神の栄光を表し、神を永遠に喜ぶことです」。アーメン。
[1] 著書の中の表を参照:J. I. Packer, Knowing God (Downers Grove, IL: InterVarsity, 1993 ed.), 237–239.
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