私が従わなければならない主とは誰だ?

Exodus 5:2
P. G. Mathew | Sunday, May 31, 2020
Copyright © 2020, P. G. Mathew
Language [English]

イエス・キリストを信じない者は、エジプトの王パロと同じ質問をする。パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」(出エジプト5:2)。詩篇14:1は言う、「愚か者は心の中かで『神はいない』と言っている」。

どのような人間であっても、聖書の教える真の生きている神に従うか、それとも悪魔に従うかのどちらかである。1ヨハネ3:1は言う、「神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である」。合衆国の忠誠の誓いは、「神の下の一つの国」と述べている。また、硬貨には、「神に我々は信頼する」と書かれている。

神が所有されるこの宇宙には偶然も事故もない。コロナウイルスは神から来たのである。これによって、神は、不信仰者の価値を明らかにされた。不信仰者にとって、中絶は不可欠なサービスだそうだ。全米家族計画連盟は連邦政府から約8,000万ドルを受け取っている。アルコール販売も不可欠なサービスだが、教会は閉鎖すべきだ、などと彼等は言う。真の生ける神、すなわち創造主、贖い主である神を礼拝することは重要なことではない、と彼等は言う。この世の頭の良い「?」人々は妄語する、「私が従わなければならない主とは、いったい誰か?私自身が、私の主人だ。誰に従えというのか」。 しかし、真のキリスト者は神の民であり、主なる神に従う。

主なる神はファラオの上におられる方である。その神は、出エジプト3:9–10でモーセに言われた、「いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとがイスラエルの人々を虐げるのを見た。さあ、わたしは、あなたをファラオにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。ファラオは天と地の主をあざけったのである。ファラオは主から権限を与えられているモーセに質問した、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか」(出エジプト5:2)。言いかえると、「モーセよ、私にはお前の主なる神とやらの姿を見ることができない」ということである。

I.不信仰者の疑問: 「私が従わなければならない主とは誰だ?」

1. 主は答えられる

すべての不信仰者の問いは、「私が従うべき主とはだれか」ということである。主ご自身がその問いに答えられる、「私は生きており、真の神であり、創造主であり、贖い主であり、[ある]という者である。私はファラオの神である。私はモーセによって言った、『私の民はエジプトを出て、私を礼拝できるようにする。私に従い、生きよ。あるいは、私に背いて、破壊されよ』。ファラオよ、私についてもっと知りたいか? 私は、霊であり、無限であり、永遠であり、不変の神、知恵、力、聖さ、正義、善と真実の主である(ウェストミンスター小教理問答、質問4)。あなたが私に従いたくないなら、自らの破壊をまねく主の計画がある」。

  • 詩篇135:6, 8–9: 「主はそのみこころにかなう事を、天にも地にも、海にもすべての淵にも行われる。主は人から獣にいたるまで、エジプトの初子を撃たれた。エジプトよ、主はおまえの中に、しるしと不思議とを送って、パロとそのすべての僕とに臨まれた」。
  • 詩篇136:10–15: 「エジプトの初子を撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。イスラエルをエジプトびとの中から導き出された者に感謝せよ、
    そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。強い手と伸ばした腕とをもって、これを救い出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。紅海を二つに分けられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。イスラエルにその中を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。パロとその軍勢とを紅海で打ちやぶられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない (詩篇95:6–7a)。

2. 全ての人間は主に従わなければならない

どのように従うべきか? 以下のことを考えよ:

  • 直ぐに: 詩篇119:32:「あなたがわたしの心を広くされるとき、わたしはあなたの戒めの道を走ります」。
  • 言われた通りに: ヨハネ14:31: [主イエスは言われた]「わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう」。
  • 喜んで:イザヤ64:5:「あなたは喜んで義を行い、あなたの道にあって、あなたを記念する者を迎えられる。見よ、あなたは怒られた、われわれは罪を犯した。われわれは久しく罪のうちにあった。われわれは救われるであろうか」。

3. 立てられた権威に従え

モーセは神の委任された権威者であった。神は1ヨハネ13:20で次のように言っておられる、「わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれる(イエスに従う)のである」。

また、あなたは、両親、父親、母親に従わなければならない。それは、神によって定められた権威だからだ。また、牧師に従う必要があり、これによって、主であるイエスに従う必要がある。

あなたの両親に従え

  • エペソ6:1–3:「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。『あなたの父と母とを敬え』これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、『そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう』」。
  • 出エジプト20:12:「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである」。ここは、「永遠の命を生きるためである」と訳せる。

あなたの牧師に従え

  • へブル13:17:「あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない」。
  • 1テサロニケ5:12–13:「兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじなさい」。

主イエスに従え

天と地のすべての権威を受けておられるイエスに従う必要がある。彼は審判者である。父なる神はイエスを審判者としておられ、イエスは栄光をもって審判者として再臨される(マタイ25:31–46)。そして、彼を十字架につけたり、打ち負かしたり、唾を吐いたりすることはできない。天国と地の全権威を持たれる。

  • へブル5:8–9:「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となられた」。
  • 2ペテロ1:10 は、あなたの受けた召しと選びとを、主に従うことによって確かなものにしなさい、と教えている。それは、直ぐに、その通りに、そして喜んで従うということだ。従うことは、あなたの救いを証明する。

4. 神がたてた権威は神の言葉を教えるためである

両親は子に神の言葉を教えるべきである。牧師は教会の信徒に神のことばを教えるべきである。我々はそれに従う。

    • マタイ7:24:「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う(従う)ものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう」。岩はイエスのことであり、大いなる安全の場所を意味する。
    • 2テモテ3:15:祖母ロイスと母ユーニスはテモテを幼少期から教えた。だから、なたも教えよ。神は聖書の言葉を子どもの心に浸透させるであろう。幼い時から、聖書に親しみ、キリスト・イエスに対する信仰に至る。聖書はその知恵を与えるのである。

II. 主は再び答えられる

主はファラオに答えられた、「お前は、『私がしたがうべき主とは誰か?』を聞くのか」。

      • 私は全能の神である
        • イザヤ9:6–7:「ひとりのみどり子がわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである」。
      • 私は王の王である
        • 黙示録19:16:「その着物にも、そのももにも、『王の王、主の主』という名がしるされていた」。
      • 私は主の主、宇宙のすべての権威を持つ
        • マタイ28:18:「イエスは彼らに近づいてきて言われた、『わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた』」。
        • ピリピ2:9–11:「それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」。(PGM) 不信者を含むすべての人がひざまずいて、「あなたは主である」と告白する。その日、キリストは、紅海で殺されたファラオであれ、誰であれ、すべての不信者を地獄に送る。全員を死から甦らせ、イエス・キリストが主であることを知らせる。そして不信者を地獄に送る。
        • 詩篇2:10–12:「それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。恐れをもって主に仕え、おののきをもってその足に口づけせよ。さもないと主は怒って、あなたがたを道で滅ぼされるであろう、その憤りがすみやかに燃えるからである。すべて主に寄り頼む者はさいわいである」。
        • ローマ10:9:「すなわち、自分の口で、『イエスは主である』と告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」。彼は王の王であり、主の主である。契約の主である。 我々は彼の誇り高き奴隷(ドウロイ)である。少数の人々がイエス・キリストが主であることを信じ、告白し、彼に従い、本当に救われる。
      • 私のしもべモーセは私の前で畏れおののいた。
        • へブル12:21:「その(神の)光景が恐ろしかったのでモーセさえも、『わたしは恐ろしさのあまり、おののいている』と言ったほどである」。ファラオはおののかなかった。しかし、ファラオと彼の強力な軍隊は、モーセの主なる神によって殺された。

III.主は救いと破壊を通してご自身を現わされる

      1. 主は10の疫病をエジプト人に送られた。ファラオの息子を含む多くのエジプト人が亡くなった。
      2. 主なる神は、すべてのイスラエル人に干上がった紅海を渡らせて救われた。
      3. 主は、紅海を再び水で満たされ、ファラオとエジプト人、戦車、馬、軍を滅ぼされた。
        • 詩篇136:15:「その方(神)は、パロとその軍勢とを紅海で打ち負かされた」。イスラエル(神の民)も破壊の例外ではない

IV. イスラエル人は主の裁きを避けられなかった。言い換えれば、神はクリスチャンをも裁かれるということである。

      1. イスラエル人は、神に従うことを拒否した。ヨシュア5:6の記録によると、モーセとアロンを含む63548人が砂漠で死んだ。これは衝撃的なことである。モーセは岩を1度叩くように神に命じられたのに、2度叩いた。その不信仰のゆえに、彼は砂漠で死んだ。
      • 1コリント10:5: 「イスラエルの民は紅海を渡った」。しかし、彼ら(紅海を渡った者9の中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。聖書には、「砂漠の至る所に死体が転がっていた」と記録されている。
      • 申命記28を読め。
      • 契約神学は最も正しい神学である。それにより、主は我々に教えておられる。神は、我々に「悔い改め、信じ、従う」よう命じておられる。「あなたは私の民である。私に従え」と言われる。イエスは、全ての神の権威を帯びておられ、我々に悔い改めるように命じ、信じるように命じ、互いに愛するように命じられる。

結論

  1. あなたが創造主、救い主、征服者、そして審判者であられるイエスを信じないなら、「私が従うべき主とは誰か?」とあなたは言っているのである。今日、厳かに命じる、その態度をやめ、悔い改めてイエスを信じ、今日救われよ。
      • 2コリント6:1–2:「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」。明日はないかもしれない。今日、主の名を呼び求め、今日救われるべきである。
      • 申命記4:24:「あなたの神、主は焼きつくす火、ねたむ神である」。
      • 出エジプト20:20:「モーセは民に言った、『恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである』」。なぜ人は罪を犯すのか? それは神を恐れないからである。神に対する恐れをもって罪を犯さないようになるよう、神が助けてくださるように祈る。
      • へブル5:8–9:主イエスは父なる神に完全に従われた。「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に対して[常に]従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となられた」。
      • マタイ28: 18–20:「イエスは彼らに近づいてきて言われた、『わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである』」。そして主なる神は我らと共におられるということを知っている。主は我々の周りで火の城壁となり、我々の中で栄光を現わされる(ゼカリヤ2:5)。従って、恐れおののいて自分の救の達成に努めよ(ピリピ2:12–13)。

最後に、主に従い、祝福されよ。申命記28:1-2は次のように言っている、「もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう」。