主イエスは再び来られる、第1

2 Peter 3:10
P. G. Mathew | Sunday, May 19, 2019
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Language [English]

どの教会にもあざける者がいる。そういう者は、イエスを主であるとは信じていない。その者は、真のキリスト者をののしり、神の言葉を罵る。彼らは、キリストが世界の裁きぬしとして再臨されること(パル―シア)を信じない。それは即ち、彼らが罪の中に生きていること意味する。2ペテロ3:3-4に書かれている、「まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、『主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない』と言うであろう」。神は真理であられる。神の言葉は真理である。そして、聖書の約束はすべて真実である。パウロは書いている、「なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである」(2コリント1:20)。その通り、主イエスが栄光と共に再臨され、神を罵る全ての者を裁かれる。この箇所から3つのことを見ていきたい。

主イエスの再臨は絶対確実である

第一に、主イエス・キリストは確実に再臨される、ということである。主イエスご自身がそう言っておられる:

  • マタイ24:30–31:「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。」
  • マタイ24:35:「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」

ペテロも2ペテロ 3:10で言っている、「しかし、主の日は盗人のように襲って来る」。ギリシャ語では動詞を最初に置いて、キリストの再臨の確実性を強調している。二千年以上が経過したが、すべての選びの民が救われるまで、まだ再臨の日はこない。しかし、最後の人が救われたときに来るのである。主の日、神の日、裁きの日である。

  • ヨハネ5:22–23:「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。」 あなたは、御子イエス・キリストを敬い、キリストにのみ信頼しているか?
  • ヨハネ5:28–30:「このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声(主の声)を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、御旨を求めているからである。」
  • 使徒行伝17:31:「神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである。」
  • 使徒行伝10:42:「それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、またあかしするようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。」
  • 黙示録 20:11–15:「また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はその仕業に応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのその仕業に応じて、さばきを受けた。それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」
  • マタイ25:31–33:「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。」ご自身が約束された通り、主イエスは再び来られる。主イエスはご本人に属す人々を救われる。しかし、悔い改めず、信じることを拒否するすべて嘲笑う者達を裁くためにも来られる。

へブル9:27–28にこう書いてある、「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。」

キリストが来られるのは確実である。黙示録10:6は言っている、「天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、『もう時がない。』。」

主イエスがこの世の中の人間を裁きに来られるとき、主を信頼してきた人を救い、そうでない人を地獄へと滅ぼされる。ペテロは書いている、「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである」(2ペテロ. 2:9)。

主の再臨の特徴

第二に、再臨の特徴であるが、主イエスは夜中に泥棒が来るように突然に来られる。 ご自身が言っておられるが、パウロの記述によると:

  • マタイ24:43–44: 主エスは言われた、「このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。言い換えると、主イエスはいつでも準備が整っておられる。
  • 1テサロニケ5:1–3: パウロは書いている、「兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない」。主イエスは突然来る。予想しない時に来られる。警告なしに来られる。マタイ25:6に、「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした」とある。再臨は、すべての邪悪な者の破壊と、真の信仰者の救いをもたらす。

主の再臨の時は、救われるには遅すぎる。今が救われるべき時だ。パウロは書いている、「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」(2 コリント. 6:1–2)。主イエスに対して、「主よ、救われる人は少ないのですか?」と愚かな質問をしたような者であってはならない(ルカ13:23)。ピリピの監守がした質問をするように、それは、「先生、救われるにはどうすればよいでしょうか?」である。答えがすぐに来た、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます (使徒行伝16:30–31)。今すぐ、悔い改め、唯一の救い主であるイエスを信じて救われるよう願ってやまない(PGM)。実際、この促しを聞くために、神ご自身があなたをここに連れて来られた。その言葉を心に留めよ:

  • 使徒行伝4:12: ペテロは言った、「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
  • ローマ10:9: パウロは書いている、「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」。
  • 2テサロニケ1:6–10: パウロはまた言っている、「すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう―わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである」。

主の再臨の目的

三つ目の点として、キリストの再臨の目的を見てみよう。ペテロはこう書いている、「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう」(2ペテロ3:10-12)。

目的1:天が消え失せる

ペテロは、激しい火の音と共に天が消える、と表現している。「天」という言葉は大気の天を意味する場合がある。その他にも:

  • 黙示録 6:14:「天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。」
  • イザヤ 34:4:「天の万象は衰え、もろもろの天は巻物のように巻かれ、その万象はぶどうの木から葉の落ちるように、いちじくの木から葉の落ちるように落ちる。」
  • 黙示録 20:11:「また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。」

目的2:天の万象は破壊される

ペテロは、太陽、月、星、銀河などの天体そのものは燃え尽きて溶解する、と言っている。終末論的な言語を使用しており、現実は言語が表現できる以上の物であり、実際その解釈は困難だが、以下の箇所を見よ:

  • イザヤ34:4:「天の星は破壊される。」
  • イザヤ13:10–13:「天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。わたしはその悪のために世を罰し、その不義のために悪い者を罰し、高ぶる者の誇をとどめ、あらぶる者の高慢を低くする。わたしは人を精金よりも、オフルのこがねよりも少なくする。それゆえ、万軍の主の憤りにより、その激しい怒りの日に、天は震い、地は揺れ動いて、その所をはなれる。」
  • ヨエル2:10–11:「地は彼らの前におののき、天はふるい、日も月も暗くなり、星はその光を失う。主はその軍勢の前で声をあげられる。その軍隊は非常に多いからである。その御言葉をなし遂げる者は強い。主の日は大いにして、はなはだ恐ろしいゆえ、だれがこれに耐えることができよう。」
  • マタイ24:29–31:「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。」

目的3: 地とそこにある物は滅び去る

第3の目的は、地上の全てと、全ての人間の行いを裁かれるということである。ペテロは、すべてがむき出しになる、と言っている。つまり、主イエスを嘲笑ってきた者たちは、キリストの裁きから逃れられないということである。以下を考えてみよ:

  • 黙示録6:15–17:「地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。そして、山と岩とにむかって言った、『さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか。』。」
  • マタイ16:27:「人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。」
  • 1ペテロ4:5: 彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。」
  • ヨハネ5:28–30: 「このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、御旨を求めているからである。」
  • マタイ25:46:「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。」
  • イザヤ66:16:「主は火をもって、またつるぎをもって、すべての人にさばきを行われる。主に殺される者は多い。」
  • 神の火は救いの火でもある。ダニエル3:19–20に記録されている、「そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた」。

主の火は悪しき者を飲み込む。マラキ4:1にはこう書いてある、「万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない」。神の裁きの火は、世界を清める。ペテロは書いている、「しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼされるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう」(2ペテロ3:7, 10, 12)。我々の神は燃える火である。神の顔に唾を吐いてきた者、即ち神を知らないと言う者を含む全ての不信者は、そこから逃げることはできない。それは神に対して不名誉を与えるものである。主なる神は、そのような人々を全て滅ぼされる、と聖書は言っている:

  • へブル12:28–29:「このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。」
  • へブル10:30–31:「『復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と言われ、また『主はその民をさばかれる』と言われたかたを、わたしたちは知っている。 生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。」
  • 詩篇2:10–12:「それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。恐れをもって主に仕え、おののきをもってその足に口づけせよ。さもないと主は怒って、あなたがたを道で滅ぼされるであろう、その憤りがすみやかに燃えるからである。すべて主に寄り頼む者はさいわいである。」
  • ピリピ2:12–13:「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」

結論

主イエスが火によって世界を裁くとき、以下に読むように、すべて主イエスを信頼する者を救われる:

  • 1コリント1:7–9:「こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。」
  • ユダ24–25:「あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。」
  • 2テモテ4:8:「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。」
  • 2ペテロ2:9-10:「こういうわけで、主は、信心深い者を試練の中から救い出し、また、不義な者ども、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。」イエス・キリストの確実な再臨を踏まえ、我々は何をすべきか?使徒ペテロの語るように、従うしかない、「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。こうして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである」(2ペテロ1:10–11)。ステパノに起こったことが、ペテロにも起こった。それは我々にも起こり得ることである。ステパノが石打ちにされたとき、彼は天国が開いて、主イエスが立っておられるのを見た。同様のことは、ウェストミンスター神学校を設立した人メイチェン師にも起こった。彼は、世界トップの神学校に入ったが、肺炎で死の床について、彼は天が開かれるのを見た時、まだキリストを信じていない人々が救われるようにどうか導いてくれ、と友人に言い残している。