大人になれ!ペテロの最後の言葉
2 Peter 3:17-18P. G. Mathew | Sunday, August 25, 2019
Copyright © 2019, P. G. Mathew
Language [English]
主イエスの導きによって自分よりも主イエスを愛すほどに、ペテロの信仰は強くなったはずであったが、主イエスが預言されたように、ペテロは主イエスを三度否定した。しかし、その後聖霊の力によりペテロの信仰は成長し、最後は十字架の殉教をとげた。
多くの人々は、主イエスを信じれば、裕福で健康で有名になると勝手に信じている。だか、そのような人々は、主イエスがマタイ16:24で教えられたように、弟子たちの犠牲を理解できないのである。
主なる神への信仰を持つには、まず生まれ変わる必要がある。聖書が言う新生がなければ、人は神の国、即ち神の支配の領域に入ってはおらず、永遠の命に入ることもない。そのような人は霊的に死んでおり、罪の中生きているのである。霊的再生は聖霊の働きである。霊的に死んでいる人は、日々罪を犯すのである。そして、彼は神を喜ばせことは何もできない。
このように再生していない人々は、神の怒りのもとにある悪魔の子であり、神の敵である。ローマ1:28に、「彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた」と書いてある通りである。
再生した人は神を畏れるように霊的に成長し、神の言葉を理解する。即ち、聖書のことばによって悪魔の嘘に打ち勝つ。真の信仰者は世の光である。彼らは真実と悪魔の嘘の違いを知っている。
霊的シロアリの問題
ペテロは次のように始めている、「愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい」(2ペテロ3:17)。主イエスは言われた、「また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。」「イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いたのである」
(マタイ. 7:26–27)。霊的シロアリのような人は、教会にいても偽のキリスト者である。 彼らは福音に無知で、主イエス・キリストに本当は信頼しておらず、不安定である。実際のところ、彼らはキリストを本当に愛したり、キリストに従ったりもしていない。
したがって、偽のクリスチャンは基礎を欠いており、主イエスが言われたように、やがて倒れる、「雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」(マタイ7:26–27)。
ペテロは、ペテロ2章2などで、偽のクリスチャンについて説明している。その特徴を見よ。
1.彼らは偽の教師である(2ペテロ2; 3:3、16; 3:3-8)
2.彼らは異端者である
3.彼らはキリストを否定する
4.彼らは地獄に属する
5.彼らはお金に貪欲である
6.彼らは搾取者である
7.彼らは無法である
8.彼らは聖書を嫌う
9.彼らは不信仰である
10.欲望に駆られている
11.彼らは傲慢である
12.彼らは神と彼の民を中傷する
13.彼らは神の権威と神が託された権威を軽んじる
14.彼らは不安定な人を誘惑する
15.彼らは真実を知らない
16.彼らは福音を拒否する
17.彼らは堕落の奴隷である
18.彼らは吐いた物に戻る犬である
19.彼らは泥を愛する豚である
20.彼らは神聖さを憎む
21.彼らはキリストの再臨を否定する
22.彼らは聖書の真実を曲げる
23.彼らにとって、善は悪
24.彼らにとって、悪は善(例えば、中絶、幼児殺しは彼らにとって善となる)
25.彼らは計り知れない損害を与える
26.歴史における神の裁きを忘れる
27.彼らは永遠の地獄を笑う
28.彼らはつかの間の罪の喜びを楽しむために生きる
29.彼らは破壊される運命にある
30.彼らは堕落の奴隷である
31.彼らは霊的なシロアリである
32.彼らはやがて真の教会を去る(1ヨハネ2:19)
33.または、真の教会や他の教会から破門される
34.彼らの哲学は、「食え、飲め、罪もよし、明日は死ぬからだ」である
35.ピリピ3:19には以下のリストがある。
1. 彼らの運命は破壊
2. 彼らの神は彼らの腹
3. 彼らの栄光は彼らの恥
4. 実りのない枝
5. 彼らは偽のクリスチャン
以上は、4つの土地のたとえの中に出てくる最初の3つを表している。
パウロはガラテヤ1:8–9で次のように書いている、「たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが伝えた福音に反することをあなたがたに伝えるなら、その人はのろわるべきである。わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを伝えているなら、その人はのろわるべきである」。
ほとんどの教会は、福音とは異なることを説いている。というのは、もしある人がきて、わたしたちがのべ伝えもしなかったような異なるイエスをのべ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、その行いに合ったものとなろう(2コリント11:4,13–15)。
すべての目に見える教会には、4つの土地のたとえのうち最初の3つを表す偽のキリスト者がいる。 それらはヨハネ15:2で教えられている実りのない枝を表している、「実を結ばない枝をすべて切り取り、実を結ぶ枝は、もっと実を結ぶようになるために剪定する」。6節でこのように教えておられる、「人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである」。
最初の3つの土地は何も生産しない。実のない枝のようなものである。彼らの問題が何かわかるだろうか?霊的に再生されていないため、キリストへの従順を欠いている。そのような人々は地獄に縛られているのである。その特徴は次のとおりである:
1.神によって断ち切られ
2.捨てられる
3.枯れてい
4.もぎ取られる
5.火の中に投げ込まれる
6.そして永遠に燃やされる
7.なぜか?彼らはキリストにとどまらない。キリストは、「わたしから離れては、あなたは何もできない」と言われた。
しかし、真の信仰者は真の神と神の民に愛されている。彼らは、神の御子キリストによって永遠に神に愛されている。その救いのために、御子キリストは受肉され、父なる神に完全に従われ、苦しみ死なれ、さらに死からよみがえられた。神の選びの民は、有効に召命され、義とされ、神の子とされて、栄光を受けるために聖別された。
霊的なシロアリは神の選びの民を欺くことができない。それは以下の聖書の箇所に書いてある:
- 1ヨハネ3:9:「すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。」
- 1ヨハネ2:6:「『主イエスのもとにいる』と言う者は、主イエスが歩かれたように、その人自身も歩くべきである。」 主イエスは我々の行動基準である。
- 1ヨハネ3:3:「主イエスキリストについてこの望みをいだいている者は皆、彼が聖いように、自らを聖くする」
- 1ヨハネ4:21:「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。」
- ピリピ3:20–21:「わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」
解決1:自分自身を守れ
神の教会では、霊的シロアリにどのように対処すべきか?ペテロが教える最初の解決策は17節にある。「間違いを持ってくる者」にだまされないように注意せよ(著者の翻訳)。これは教会への神の命令である。つまり、「自分を守れ」である。それは現代でも同じ命令で、人生を通して我々の責任である。注意せよ。悪魔の嘘を見つけて対抗するために、聖書の真理を知る必要がある。ペテロは、目に見える教会に間違いをもたらす者たちがいるということを明言している。ペテロは書いている、「神の民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている」(2ペテロ2:1)。
真の信仰者は神の真理を知っており、その真理と御聖霊によって、間違いをもたらす者に反対する。真のクリスチャンは、神の言葉と聖霊で満たされており、神の鎧を身まとっており、悪魔に抵抗する特徴がある。我々もそのようにするなら、悪魔は我々から逃げるであろう。ヤコブは言っている、「神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう」(ヤコブ4:7)。
主イエスは聖霊の力で御言葉に従い、悪魔は彼の前を去った。へブル2:14–15にあるように、主イエスはその命と死によって悪魔を打ち負かし、悪魔の支配から彼に属する選びの民を解放された、「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである」。我々は信仰をもって神に従って生きるとき、悪魔は逃げていくのである。
我々の教会では、教会戒規を実践している。 反抗的で、偽りの信仰者、即ち霊的シロアリを追放する。以下を考えよ:
2コリント6:14:「不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。」
1テモテ6:20–21:「テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、偽りの『知識』による反対論とを避けなさい。ある人々はそれに熱中して、信仰からそれてしまったのである。
恵みが、あなたがたと共にあるように。」
マルコ13:5、9、33:「そこで、イエスは話しはじめられた、『人に惑わされないように気をつけなさい。』」。「あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。」「気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。」
2テモテ1:14:「そして、あなたにゆだねられている尊いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。」
マタイ24:24:「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」これは不可能である。主なる神は我々が最後まで忍耐するのを助けてくださる。
使徒20:28–31a:「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会が牧会されるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れをあらすようになることを、わたしは知っている。また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。だから、目をさましていなさい。」
申命記32:10:「主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。」しかし、選びの民は最後まで耐え忍ぶ。彼らの基盤はキリストだからである。
イザヤ28:16:「それゆえ、主なる神はこう言われる、『見よ、わたしはシオンに一つの石をすえて基とした。これは試みを経た石、堅くすえた尊い隅の石である。』『信ずる者はあわてることはない』。」
2テモテ2:19:「しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。『主は自分の者たちを知る』。また『主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ』。」
1ペテロ2:4–5:「主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のささげものをささげなさい。」
解決2:神の恵みと知識において成長せよ
ペテロが神の教会の霊的シロアリの問題に向けての2番目の解決策は、18節にある。「神の恵みと知識において成長する」こと、これもまた、現在もそうであり、我々の継続的な責任である。神は我々に命じておられる:大人になれ!
再生した子たちは神の御言葉という栄養を取らなければならない(PGM)。ペテロは言っている、「あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである」(1ペテロ1:23)。彼はまた言っている、「今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。あなたがたは、主が恵み深いかたであることを、すでに味わい知ったはずである」(1ペテロ.2:2–3)。ペテロが神の教会の霊的なシロアリの問題に与える2番目の解決策は、18節である。「恵みと知識の中で成長する」。これもまた、現在の責務であり、私たちの継続的な責任である。:神は我々に命じておられる:大人になれ!
成長しているキリスト者は、聖書の言葉つまり生きたパンを食べなければならない。 主イエス御自身が言われた、「私は命のパンである。 私のところに来る者は決して飢えることはなく、私を信じる人は決して渇くことはありません」(ヨハネ6:35)。そして、へブルの著者は書いている、「しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。」(ヘブル5:14)。
キリストが建てられる教会にはいくつかのしるしがある。4つの特徴がある。
1.最も重要な特徴は、敬虔で学識の高い牧師が、権威をもって神の聖なる言葉を忠実に説教することである。使徒行伝2:42は勧めている、「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた」。
2.次の特徴は、洗礼と聖餐式の2つ霊典を守る。我々の教会では、毎週これを守る。
3.3番目の特徴は、教会戒規の行使である。家族でも神の教会でも行使される。破門することも教会戒規の一部である。
4.4番目の特徴は、交わりである。主イエスは互いに愛するように言われた。1ヨハネ3:16–18、「わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」
従って、中心的な特徴は、人々が神の言葉を聞いて従うことができるように、その御言葉を説教することである。主イエスは言われた、「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである」(マタ7:24–25)。
主イエスについて聖書は次の様に言っている、「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり」(ヘブル5:8–9)。
真の福音を伝えないならば、そのような教会はサタンの教会である。それはサタンの会堂と呼ばれている(黙示録2:9; 3:9)。ほとんどの教会では福音を説かない。そして、御言葉が伝えられる場所でのみ、選びの民である神の民は、救い主イエス・キリストの恵みと知識において成長する。聖書即ち旧約聖書と新約聖書のみが、主イエス・キリストについて正しく語っている(ローマ10:14-17; 2コリント2:15-17)。
主イエス御自身が聖書を学ばれ、知恵と恵において成長された。「幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった」(ルカ2:40)。そして、イザヤはキリストが来られるずっと前に、聖霊がどのようにキリストに現れるかを語っている(イザヤ11:1–3a)。彼は言っている、「その茎はエッセの切り株から出てくる。その根から出る枝が実を結ぶ。主の霊は彼の上にとどまる」。
1.「知恵の霊」
2.「理解の霊」
3.「諭す霊」
4.「力の霊」
5.「知識の霊」
6.「主を恐れる霊」
7.「そして、彼は主への恐れを喜ぶ。」神への恐れは、罪を犯さず神への従順へと導く。
ペテロは、「神の恵みと知識において成長しなさい」と教えている。恵みは神の力である。神は恵みに成長するように命令しておられる。
- 「罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである。あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である」(エペソ2:5, 8)。恵みとは神からの賜物で、信仰もそうである。救いもそうである。
- 主イエスは言われた、「枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」(ヨハネ15:4b, 5)。パウロは言った、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる(ピリピ4:13)。「神が要求されるものは、聖霊によって与えて下さる」と、ジョン・カルビンは言った。
- 「しかし神は、益々恵みを賜う」方であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」のである(ヤコブ4:6)。
神の恵みと知識の中で成長する必要がある。我々の主である父なる神と主イエスを知ることなしに、恵みと平和を豊かに得ることはない。永遠の命を持つことはない。ペテロは次のように書いている、「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである」「これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう」(2ペテロ1:2–3、8)。神と主イエスについての知識を深めるにつれて、恵みのうちに成長するのである。
へブルの記者は書いている、「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」(へブル4:16)。
我々は、神のあわれみ恵みを必要としており、それを求めるとき、神は与えて下さる。パウロが、「ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように」(ローマ1:7)と祈っている通りである。神が、あなたに恵みとあわれみを与えられるのである。事実、神はあなたに聖霊を与えられる。
主イエスがどういう方か?ということを知らなければならない。彼は以下の通りの方である:
- 永遠なる神の言葉そのものであられる。神ご自身である(ヨハネ1:1)。
- 主という立場の方である。それは永遠の神であり、旧約聖書の神である(イザヤ 42:8; イザヤ9:6–7;ヨハネ8:38)。
- 罪を赦す方である。神のみが罪を赦すことができる(マルコ2:5, 7)
- 礼拝されるべき方である。使徒たちは礼拝した(マタイ. 14:33; 28: 17)。即ち、神のみが礼拝されるべきである。
- 神の永遠の御子である(マタイ. 4:3; 14:33)。
- 創造主ご自身である(へブル1:2; ヨハネ1:3)。
- 救い主ご自身である(マタイ. 1:21; 2コリント5:21)。
- 罪がない(2コリント5:21; 1 ペテロ3:18)。
- 人間でもあられる(ヨハネ1:14; 処女降誕された人である: ルカ2:12)。
- 王であられる(イザヤ9:6-7)。
- キリストであられる。油注がれた者であられる—即ち、預言者、祭司、そして王であられる。
- 主であられる(ピリピ2:10-11)。
- 最後の審判者であられる(ヨハネ5:23, 27–27; マタイ. 25:31)。
- 以下ヨハネの福音書に記載されている通り、七度、「私は在る」と自らを呼ばれる方である:
1.「私は生きているパンである」(ヨハネ6:35)
2.「私は世界の光である」(ヨハネ8:12)
3.「私は羊の門である」(ヨハネ10:7)
4.「私は良い羊飼いである」(ヨハネ10:11)
5.「私は復活と生命である」(ヨハネ11:25)
6.「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)
7.「私はぶどうの木」(ヨハネ15:5)。 また、ヨハネの福音書8:58には、「アブラハムの前に、私はいる」と書かれている。主イエス・キリストは永遠の私である。
神の恵みと知識において成長すると、従順の実を結ぶようになる。キリストにつながっているならば、聖霊の力によって枝として実を結ぶ。即ち、キリストに属していることが不可欠である。そうすれば、枝として従順の実を豊かに結ぶのである。キリストに繋がっていない場合、神の栄光のために実を結ぶことはできない。しかし、パウロは、「私力をづけられる方よって私にはなんでもできるのである」と書いている(ピリピ4:13)。 彼はまた言っている、「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ2:12–13)。神の選びの民は、神のよって再生させられているので、30、60、100倍の実をむすぶのである。生産する再生者である(マルコ4:20)。
偽の信仰者は神に従わない。彼らは、神によって再生されていないかである。彼らは雑草生い茂る悪い土壌である。彼らはキリストにしっかりと結びついていじないし、結びつこうとしない。パウロは言う、「それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである」(ローマ6:3–4)。我々は、キリストの生、死、葬り、そして復活において、キリストと繋がってこそ、新しい人生を送るようになる。それは、我々それぞれに内在される聖霊の力によって可能である(ローマ8:11)。
主イエスは、「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」(ヨハネ15:10)と言われた。へブル5:8–9では、「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救いの源であられる」と書いてある。神のことばに従ない者は偽物のキリスト者であって、再生したおらず、彼らは常に罪を犯しているのである。
主であり救い主である主イエス・キリストに従わない者は、再生していない。そして、本物の実を決して結ばないのである。 彼らは反律法主義者である。 しかし、真の信仰者は次のことを行う:
1.規則的に神を礼拝する
2.神の言葉を聞いて行う
3.真の神の民との交わりもつ
4.他のために本当の徳を高める
5.毎日聖書を読む
6.聖書の言葉を喜ぶ
7.毎日祈る
8.真の神の民を犠牲的に助ける
9.福音を他の人に伝える
10.自己吟味する
11.聖餐を毎週受ける
12.福音の進展のために与える
13.真の神の民による著作を読む
14.聖書を黙想する
15.子どもたちを言葉で訓練する
16.家族の救いを信じる
17.家庭での神の国、すなわち神の支配を実践する
18.神に仕える牧師を敬い、従う
19.主の恵みと知識の中で成長する
20.多くの真の良き業を行う
21.神からの召しと選びを確実にするように生きる
22.彼らはキリストに属する者として最後まで耐え忍ぶ
賛美/頌栄
最後に、使徒ペテロは、主であり救い主である主イエス・キリストに、新約聖書に見られる最高の賛美を与えている。主イエス・キリストは御子である。 彼は創造主であり、救い主である。 彼は完璧な神/人である。 彼は我々の罪を赦す。 彼は2つの性質を持つ方、神と同一の人である。 彼は預言者、祭司、そして王である。 彼は復活した者である。 彼は神の右手に座っておられる。 彼は審判者として再び来られる。 彼にはすべての権限が与えられている。 彼に対して、すべての膝は屈むべきである。すべての舌は、父なる神の栄光のために、主イエス・キリストが主であることを告白する。 それで、ペテロはキリストについてこう言っている、「そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン(2ペテロ3:18)。
主であり救い主であられる主イエス・キリストの、神の栄光のために、全てのことを行え。「ひとりのみどり子がわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」(イザ9:6–7)。 彼にすべての栄光が存在する!
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